FC2ブログ

ポーランド戦のボール回し再考

Posted by fukutyonzoku on 23.2018 スポーツ 0 comments 0 trackback


サッカー・ワールドカップ(W杯)2018ロシア大会が閉幕した。日本はグループリーグ(GL)第3戦ポーランド戦の後半残り10分、0-1で負けているのにボランチの武藤に代えて守備的MFのキャプテン長谷部誠を投入。長谷部は西野監督の指示を伝え、時間稼ぎのための自陣でのボール回しが始まった。
このボール回しに対し、会場は猛烈なブーイングに包まれた。一部に日本の戦術を擁護する意見もあったものの、海外メディアや解説者からは日本の消極的なプレーを「アンチフットボール行為」として批判する声が殺到。結果的には、西野監督の狙い通り、同時進行していた同じグループHのコロンビアvsセネガルが1-0のまま終了し、日本はセネガルと勝ち点4、得失点差0、総得点4、直接対決結果も引き分けと並び、規定により警告カードの累積であるフェアプレーポイントの差で辛くもGL2位通過を果たした。
もしセネガルが残り10分でコロンビアに追いつけば、日本も1点取ってポーランドと引き分けない限りGL敗退だっただけに、この大博打は「他力本願」の危うい作戦だったことは間違いない。

🔳「サッカーは結果が全て」か?

この件については論点が錯綜しているので、整理しながら論じる必要があろう。

まず、日本サッカー協会(JFA)という組織内の論理としては、西野監督は指揮の全権を託され、自らの責任においてリスクの高い決断をし、結果的にその決断は決勝トーナメント進出という目標を達成したのだから文句を言われる筋合いはないではないか、と。それはその通りだと思う。

しかし、サッカーW杯という世界最大のスポーツイベントは、言うまでもなくJFAやスポンサーやメディアの企業論理で完結するものではない。世界中のサッカーファンやスポンサー、メディア等多くのステークホルダーがいて初めて成立する世界的な「興行」なのだ。主役は何と言ってもTV視聴者である世界数十億人のサッカーファン。つまりW杯においては「記録」よりも、世界のサッカーファンの「記憶」の方がはるかに重要だ(と私は思う)。
仮にJFAや国内スポンサー・メディア等のビジネスの論理が「日本代表が1試合でも多く勝ち進むこと。その結果が全て」だとしても、ファンがその論理に従う必要はない。多くの世界のサッカーファンの関心は違う。日本人サポーターに限っても、必ずしも日本の結果が全てだと考えるファンばかりではない。サッカーの世界最高峰の舞台での世界最高のゲームとプレーが見たい、それが全てだと思っているのは私だけではないはずだ。

ただ、日本に限らず自国サポーターだけは恐らく結果も内容も両方ほしい。だから「アンチ・フットボール」的な内容で勝ち進んだ場合、自国サポーターの意見は自ずと分かれる。日本代表のベルギー戦の内容は、ポーランド戦の終盤のボール回しの悪印象を帳消しにしてくれたのはよかったが、だからといってポーランド戦の行為がW杯史と世界の人々の記憶から消え去るわけではない。

よく考えれば、ベルギー戦の日本への賞賛自体がW杯は「結果が全て」ではないことの証しではないか。結果は敗戦、今回もベスト16の壁は破れなかったわけだが、その結果よりゲーム内容の良さが上回って余りあったからこそ、世界から賞賛された。その評価の方がベスト8とかベスト4といった記録以上に価値がある、と思う。

韓国は日韓W杯でアジア最高のベスト4という快挙を達成したが、その後審判への大掛かりな買収があったことが判明。韓国はアジア初のベスト4という結果より史上最低の不正開催国としてW杯の歴史に汚名を残した。五輪ではドーピングで結果を出してきたロシアや中国もアンチ五輪精神の国として世界は見ている。ブラジルのネイマールは今大会で、世界最高のストライカーとしてではなく、VARという新技術によって「大袈裟なシミュレーションの常習犯」という汚名を世界の人々の記憶に刻んでしまった。
日本は今回、不正をしたわけではないので少し質は違うが、負けているのにボール回しという前代未聞のアンチ・フットボール行為をした国としてサッカーW杯史と日本サッカー史に汚点を残したのは間違いない(ベルギー戦での名誉挽回とともに、ではあるが)。

🔳GL突破の方法はボール回ししかなかったか

論点は少しズレるが、力のあるチームならあれほど露骨な後衛でのボール回しはせず、攻めながら上手にボールをキープし、時間を使ったはずで、そうしていればこれほどの批判は受けなかったかもしれない。さらにはセネガルとの差がフェアプレーポイントであったことも印象をさらに悪くしたと思う。いずれにしてもグループリーグ突破だけを見れば、世界の日本の評判を貶めたお粗末なベスト16進出であったことは否定し難いと思う。
賞賛されたベルギー戦は、そのお粗末なグループリーグ突破がなければ存在しなかったのだから、「お粗末でも何でもやはりGL突破という結果にこそ価値があった」という声が聞こえてきそうだが、それは結果論に過ぎない。またGL突破の方法はあれしかなかったのならその理屈も成立するが、そうだったとも思えない。

🔳統計的にも最終盤の得失点は多い

それではなぜ、西野監督はそんな作戦を採用したのだろうか。

考慮すべきは、一つには日本があの時点で点を取りに行った場合、逆にカウンターで取られるリスクがどのくらいあったのか、という戦況判断。もう一つは、コロンビアvsセネガル戦の見通し。この両者の連立方程式だったわけだが、後者については確たることは誰にも言えないし、日本がコントロールできるゲームでもない。セネガルの高い攻撃力は日本戦やポーランド戦でも証明済みだし、そもそも何が起こるかわからないのがサッカーだ。統計的にも最終盤の得失点は非常に多い。
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO36338780Y1A101C1000000

しかも、コロンビアは仮にセネガルに追いつかれて引き分けとなっても、日本がポーランドに敗れれば同じ勝ち点4、得失点差で2位通過できたため、1点のリードを守り切るモチベーションが高くなかった可能性も考えられた。

おそらく西野監督はラスト10分の段階で、日本が点を取りに行けば逆にカウンターでポーランドから2点目を取られるリスクが高いと判断したのだろう。それは現場の指揮官としての戦況判断なので、外野は何とも言えない。
確かに、日本がもしポーランドに2点差で敗れれば、残り10分余りでセネガルが2点を奪ってコロンビアに逆転勝利しない限り、日本は決勝Tに進めなくなる。その確率は誰が考えても極めて低い。従って日本がもう1点取られることだけは何としても避けたいと考えることは、それなりに理があるかもしれない。

🔳DF陣にトラブル?

西野監督の当時の心理を想像してみると、決勝T初戦に向けて主力の体力を温存するため、ポーランド戦ではそれまで好調だった先発メンバーを6人も入れ替えた。西野監督に贔屓目でみれば、後半早々に岡崎のアクシデントで大迫に変え、同20分には点を取りに行くため武藤→乾と、既に攻撃の交代カードを2枚切ったが、ラスト10分を残して不発に終わっていた。中盤~DFラインの守備バランスに不安を感じていたのだとすれば、それも消極的なボール回しを選択する一因となった可能性もある。そうは見えなかったが、もしかしたらDF陣に怪我などのトラブルがあったのかもしれない。

しかし、日本がボールを回してポーランドの2点目を確実に防いだとしても、セネガルが1点取ってコロンビアに追いつけば、その作戦は土台から崩れる。そうなった場合、日本も引き分けに持ち込まなければ、やはりGL敗退となることは同じだった。セネガルが追いつけば当然日本も猛攻を仕掛けたはずだが、残り時間を考えれば時間切れとなる可能性が高い残り時間だった(いつセネガルが追いつくかにもよるが)。

いずれにせよ、西野監督は

①日本が1点を取りに行った場合に、ポーランドにカウンターを受けて2点目を取られる可能性(B)
>日本が攻めてポーランドから1点取る可能性(A)

②(B)>セネガルがコロンビアに追いつく可能性(C)

と判断したことになる。

おそらく西野監督はBのリスクが極めて大きいと判断したために、もはやCがないことに賭けるしかない、という心境に陥ったのだろう(そう考えないと、合理的な説明がつかない)。

🔳ポーランドのカウンターは脅威だった?

しかし、冷静に振り返れば、日本のボール回しに対してポーランドも無理にボールを奪いにはこなかった。つまり、あの時間帯、ポーランドは勝ち点3の死守が最優先の命題であり、2点目を積極的に取りに行くモチベーションはもはやなかった。ということは、もし日本が攻めればカウンターを狙うより全員で守備に徹した可能性が高かったはずだ。仮にワントップのレバンドフスキだけを前線に残したとしても、彼は今大会が不発に終わったことでもわかるように1人で点を取れるタイプのストライカーではないため、必要以上に恐れる必要もなかったのではないか。普通に考えれば、日本はカウンターを警戒しつつも最後の力を振り絞って攻める、という戦術を取り得たはずだ。それは長谷部を投入して守備バランスを整えた上でも取り得る戦術だったはずだ。

このあたりの機微は、その時の日本のDFのバランスやトラブルの有無、ピッチ上でしか感じ取れない脅威やリスク判断、スカウティングのデータ分析などもあるだろうから、あまり断定的なことを言うつもりはないが、いずれにしても消極的かつ勝算も不確かな判断に世界中が驚き、それまでの2戦で日本びいきとなっていた多くのファンまでが失望したのは紛れもない事実だ。

🔳結果オーライで済ませていいのか…

もし、セネガルが追いつき、ボール回しが裏目に出ていたとしていたら、日本代表と西野監督への世界中から浴びせられるバッシングは想像するだけも恐ろしくなる。なぜ、勝負を避けて他力本願の消極的判断をし、アンチフットボール的プレーをさせたのか、と。「W杯史上最悪のボール回し」との烙印を押され、日本代表とNishinoはサッカーW杯史に永久に汚名を残す、という取り返しのつかない結果を招いただろう。日本を叩きたくて仕方ない中韓などはここぞとばかりに「日本的ご都合主義、日本的フェアプレーの象徴的ケース」と、日本文化全体を貶めにかかったはずだ。結果オーライで済ませていい判断だったとは思えない。
それを承知で大博打を打った西野監督の肝の座り方や運の強さは大したものだが、そうした人物評や指揮官として手腕・適性評価と、「あの判断が最善手だったか」という個別判断の是非は、別問題だ。
もしボール回しではなく、攻めていれば、仮にカウンターを食らって敗退したとしても、それほどのバッシングは起きなかったはずだ。せいぜい「カウンターをもっと警戒すべきだった」「そもそも先発6人入れ替えが甘かった」「やはりコロンビア戦がラッキーだっただけだ」といった失望や不満の声が日本国内からブツクサと出ただろうけれども。しかし、その程度だろう。「コロンビアvsセネガル戦の経過を見ながら後ろでボールを回すべきだった」との意見が出ただろうか? 仮に出たとして、多くのファンに受け入れられただろうか?

🔳「成績より成長を」と山本昌邦氏

元々今回の日本代表に対する期待値は国内外ともに低く、GL突破は無理と見られていたのだから。セネガル戦まで既に日本は大健闘だと称賛されていたのだから。アジアで初めて南米(コロンビア)に勝ち、強豪セネガルに2度も追いつき、GLで勝ち点4を獲得した日本は、攻めて負けたのなら、GL敗退を惜しまれたはずだ。

NHKサッカー解説者の山本昌邦氏はW杯開幕前、日本代表について「私は成績より成長を求めたい」と話していた。JFA幹部の一人として、今回の結果が悪かった場合の予防線を張っていただけかもしれない。しかし、どこまで勝ち進んだかという「成績」より、試合内容で「成長」を証明することの方が大事なのだ、という見方だとすれば、全く同感だ。「日本は常に危険な相手であり、もはや手を抜いて勝てるような簡単な相手ではない」ことをゲームパフォーマンスで世界に知らしめることこそが、今の日本サッカーの世界におけるポジションを確実に上げる西野ジャパン最優先の使命だったはずだ。運良くベスト16やさらにその上に残ることはわかりやすい数値目標の一つではあるが、本筋ではなく、最終目標でもない。

🔳幸運な成功体験は次の失敗に繋がる

少々飛躍するが、日清、日露戦争の勝利が軍部の過信と増長を招き、太平洋戦争の敗戦の原因となったと言われる。また、戦後日本の「奇跡の」高度経済成長という成功体験が、バブル経済と崩壊、その後の「失われた20年」の遠因だという見方もそれほど的外れではなかろう。明治の戦勝や戦後の高度成長の原因の全てを運の良さに帰するつもりはないが、成功体験そのものが次の失敗の原因になることは、一般にもよく観察される事象ではある。なかでも成功の原因の中に「運の良さ」の要素が大きい場合、その幸運を「実力」と勘違いする余地が大きくなる。
元寇を撃退した台風襲来という幸運を「神風」と呼び、「日本は有史以来他国に負けたことがない『神国』」と信じるに至っては、勘違いが信仰レベルにまで到達してしまった戦前日本の悪しき前例だろう。
もしサッカー日本代表に強運があるなら、それはW杯決勝の舞台まで取っておこうではないか。
スポンサーサイト

ポーランド戦西野采配の得失

Posted by fukutyonzoku on 29.2018 スポーツ 0 comments 0 trackback


サッカーワールドカップは世界人口の半数に当たる36億人がテレビ観戦するという。オリンピックを遥かに凌ぐ世界最大のスポーツイベントだ。
今回のロシア大会で西野ジャパンはアジアのチームとして初めて南米チーム(コロンビア)を破り、セネガル戦でも2度リードされても追いついて引き分け、初戦の勝利が幸運の所産だけではなかったことを証明してみせた。大会前半戦で最も注目されたチームの一つになっていた。
その日本のベスト16入りが決まるかもしれない強豪ポーランドとのグループリーグ最終戦は当然、世界の期待と注目を集めていた。その世界的な注視の中、西野朗監督が指示した後半最後の10分にわたるボール回しは、世界中のサッカーファンの激しい失望と怒りをかった。前2戦で急増した日本代表ファンや親日家を落胆させ、日本人や日本文化全体のイメージにまで傷をつけた。
この試合で日本が得たものと失ったもの。関係者はそれらを天秤にかけ、冷静に考えるべきだろう。サッカー界だけの問題ではない。

【引用】
▽英公共放送BBC
・元アイルランド代表DFマーク・ローレンソン氏「茶番だ。紛うことなき茶番だ」「ワールドカップの順位を決めるもっとマシな方法を見出すべきだ」
・元エバートンMFレオン・オスマン氏「これは恥だ。最後の約10分間に2チームのやったことはワールドカップで誰もがみたくないものだ。茶番に変わってしまった」
・北アイルランド代表のマイケル・オニール監督「1982年や86年大会ならこんな試合はあった。他の試合結果に全ての運命を委ねるなんて自分にとっては信じられないことだ」「日本を好きになっていたけれど、次のラウンドでボロボロに負けてほしいね」
・「(日本は)セネガルが得点を入れれば敗退するかもしれず、自分たちで得点すれば16強入りが確実になるのに、西ドイツ対オーストリア戦(談合疑惑がもたれた1982年大会の試合)より奇妙だった」

▽ロシア国営テレビ
「こんな試合の最後は見たことがない」
「ここはワールドカップだよ」
「彼らは歩くこともせず、ただ立っていた」
「もうロシア人は日本を応援しない」
「観客のことを忘れてはいけない。イエローカードの差で決勝トーナメントには進んだが、試合は美しくなかった」

▽ロシア・スポルト・エクスプレス紙(電子版)
「スキャンダルだ。日本はボールを回して時間を稼ぎ、ポーランドは攻撃しなかった。両国はサッカーをばかにした」
「今やサムライと呼ぶのも気が引ける」
「フェアプレーポイントの差で日本が決勝トーナメントに進出したが、ボールを回して終了の笛を待つことが『フェアプレー』だろうか」

▽英インディペンデント紙
「日本がポーランドとの馬鹿げた茶番の一戦を握りつぶし裏口から16強へ」「日本が落ち着いて面白味もなく試合を抑え切ると、ボルゴグラードの周辺すべてにブーイングが鳴っていた。彼らは、日本の声援がそれを1000回以上掻き消してくれることを知っていた。日本は0-1での敗戦に乗っかるため自陣で目的のないパス回しというシュールなチーム判断を4万2000人以上の観衆と世界中の何百万というテレビ視聴者に見せて、なんとかセカンドラウンドへと駒を進めた」

▽英ガーディアン紙
「日本がポーランドに敗戦も、こっそりとワールドカップ16強へ」
「多くの敬意を集める中での奇妙な試合となった。サマラでの得点経過を知った日本は、自陣深くでボールをキープし、さらに失点することやイエローカードをもらうことを避けてプレーして試合を終えた。観客の多くが、嫌悪を込めた口笛で感情を表したが、日本は少しも気にすることはなかった」

▽英デイリーメール
「セネガルが、また得点を挙げれば大会から去ることになる日本にとってまったく賢明な作戦ではなかった」

▽フランススポーツ紙『L’Equipe』
「それほどフェアプレーじゃない日本」
「ワールドカップ史上初めて、カード数が少なかったという理由でグループリーグを突破した。それに値しないゲーム終盤の振る舞いだったにもかかわらずだ」
「10分間に渡って悲壮なスペクタクルを提供した」
「(西野朗監督の試合後の会見での)ひきつった顔つき、困惑気味の表情、無理に作った微笑、ギクシャクした悲しげな声のトーン……グループリーグを突破してもいないのに(スタメンを)6人も変えたチームを送り出す、凄まじいリスクを冒したのだ」
「(かろうじてベスト16に進出したが)もしそうなっていなかったら、この前技術委員長はメディアの大バッシングに晒されていただろう。4月8日にハリルホジッチを監督の座から追い落としたコウゾウ・タジマ(田嶋幸三)会長についても同様である」

▽アルゼンチン『TyC Sports』
「東洋のチームは嘆かわしいパフォーマンスで試合を締めた」

▽スペイン『マルカ』
「試合は日本人たちの赤面すべきイメージとともに終了した」

▽スペイン『アス』
「試合は死に絶え、ナンセンスなものへと変わってしまった」

▽チリ『プブリメトロ』
「日本は時間稼ぎを恥と感じず、“フェアプレー”が彼らを助けた。日本のベスト16入りは恥ずべきものと形容できる。日本人たちは臆面のない時間稼ぎで、0-1の敗戦を維持した」

▽海外ツイッター
「日本はフェアプレーに背きながら、フェアプレーでもってグループステージを突破した」
「日本はクリーンなプレーを見せなかったにもかかわらず、フェアプレーでベスト16だ」
「日本の恥ずべき行いであり、彼らの文化に反している」
「ポーランド対日本の最後の10分間を見て、FIFAからフェアプレーが悲しいものであることを説明されたようだ」
「日本とポーランドが最後の15分、スコアで合意に達したことはフェアプレーなのか?」
「日本のフェアプレーポイントはセネガルより上だった。しかし、今日の試合に関しては、セネガルがよりフェアに戦った」
「セネガルが進出すべきで、日本はふさわしくない」
「FIFAのフェアプレーは日本がボールを持って、最後の10分間立っているということなんですね」
「日本は終盤のアンフェアな振る舞いでフェアプレーで突破。それが全てなんて、恥だ」
「日本はフェアプレーを汚した」
「(日本の試合は)恥ずかしいサッカーだ。フェアなプレーができないなら別のシステムが必要だ」

(出典)
https://www.football-zone.net/archives/116890

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180629-00000002-wordleafs-socc

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180629-00000017-asahi-spo

https://www.football-zone.net/archives/116722?utm_source=yahoonews&utm_medium=rss&utm_campaign=116849_2

https://www.jiji.com/sp/worldcup2018?s=news&k=2018062900318

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180629-00043197-sdigestw-socc

「中東の笛」をいつまで放置するのか

Posted by fukutyonzoku on 03.2016 スポーツ 0 comments 0 trackback


◼︎JFAはCASへ提訴すべき

埼玉スタジアムで1日行われたサッカーW杯アジア最終予選。日本にとって大事な初戦であるUAE戦は1ー2で黒星発進となったが、それにしてもカタール人主審のレフェリングはひどかった。あれは、相手ではなく主審の笛に敗れたようなものだ。日本サッカー協会(JFA)は抗議するというが、「抗議」程度で済ませてはいけないと思う。スポーツ仲裁裁判所(CAS)に即刻提訴すべきだろう。

もちろんこのゲームはテレビ中継で私も観戦したが、今回のカタール人主審のおかしな判定はPK(ペナルティー・キック)の採否を含め一つや二つではなかった。あの「中東の笛」は、買収が疑われても仕方ないほど酷いものだった。公平な判定なら、日本は勝っていたはずだ。あんなに酷いレフェリングに黙って従うしかない状況を今後も放置すれば、審判次第でゲームの勝敗はどうにでもなる状況を日本は認めることになる。

「なるべく事を荒立てないように、穏便に」という日本人的なメンタリティーは、こと政治外交に関しては何ら美徳でないばかりか、逆効果にさえなる。日本はこのことを戦後の対中・対韓外交で嫌というほど思い知らされてきた。あんな滅茶苦茶な判定にJFAがアジアサッカー連盟(AFC)に形ばかりの抗議をするだけでは、中東の審判たちを増長させるだけである。「日本には何をやっても大丈夫だ」と思わせ、同じことが今後も起こる可能性がある。今回の判定が仮に覆らないとしても、今後のためにもJFAは強い抗議の意思をCASへの提訴という強硬な形で示すべきなのだ。

◼︎カタール人審判はUAEの「中立国」か

そもそもなぜこの試合の主審がカタール人なのか。サッカーに限らず、国際試合の審判団は「第3国」から選出するのが常識だが、カタールはUAEの近隣国で、同じアラビア語圏かつイスラム教スンニ派が多数を占める国だ。近隣国が仲がいいとは限らないが、両国は地理的にも宗教文化的にも近い関係で、少なくとも「中立国」とは言い難い。そうした近い関係の国の審判が主審を務めるのは、「中東の笛」の疑惑を持たれないためにも避けるべきだろう。この試合は南~東南アジアの審判が主審を務めるべきだった。

◼︎「追加副審の不在」という非常識

また、本田圭佑が指摘したように、ペナルティ・エリア内を見る追加副審は、欧州の主要国内リーグやCLでは当たり前で、Jリーグでも導入しているというが、なぜW杯アジア予選にはいないのか。また、他のスポーツで導入が進んでいる「チャレンジ」システムを取り入れるくらいは、技術的、財政的には今すぐにでもできるはずだ。最高機関の国際サッカー連盟(FIFA)全体で協議しないとAFCだけの導入は無理かもしれないが、少なくともゴールかノーゴールかの判定には使えるはずで、導入にそれほどの障害があるとも思えない。ゲームが少し中断しても、その時間を審判が計り、アディショナル・タイムに加えればいいだけのことだ。
もしこの試合でもチャレンジシステムがあれば、浅野のシュートは100%ゴールと認定されていたはずだ。世界最大のメジャースポーツが、あえて前近代的な判定方法を守り続けなければならない理由はない。

◼︎遠い中東がなぜ「アジア」枠か

さらに言えば、中東と東アジアを同じ「アジア地区」としているFIFAの地域割り自体、そもそもおかしくはないか。ホーム&アウェーで条件は同じとはいえ、日本と中東とは8000km以上離れており、旅客機での移動時間も東京ー中東諸国間は11~15時間もかかる。欧州西端のリスボンから中東湾岸地域へは8時間前後、アフリカ南端のケープタウンからでも9時間台だから、中東は東アジアより欧州やアフリカの方が近いのだ。東アジアと中東では気候も違い過ぎる。これを同一地域としてW杯や五輪の予選で行き来するのは、選手の肉体的負担も大きい。中東は「アジア」から切り離して単独枠とするか、アフリカと一緒にして「中東・アフリカ枠」とするか、中央アジア~南アジアのイスラム圏と一緒にしてもいいだろう。アフリカのサハラ以北は中東と同じイスラム教国が多く、地理的にも文化的にも近い関係だ。この件をAFCとFIFAで真剣に協議すべきだ。

スポーツに見る単線的な日本社会

Posted by fukutyonzoku on 17.2015 スポーツ 0 comments 0 trackback

日本の男子バスケットボールのトップリーグ統一問題解決のため白羽の矢が立った川淵三郎さんが、あるテレビのインタビューで「欧米では、子供たちはたいてい複数のスポーツをやっているが、日本は一つのスポーツを始めると、それ一本になってしまう」という趣旨のことを言っていた。
川淵さんは言う。「欧米では、子供たちにはいろんなスポーツができる環境があるんです。いろんなスポーツをやれば、バランスよく運動能力が発達するし、自分に向いているスポーツと出合うチャンスも多くなる。だからプロにまで掛け持ちで複数の競技をする選手が生まれるんです。日本でもそういう環境を作りたい」と。

なるほど、と思う。これはスポーツに限った話ではないだろう。勉学のみならず、音楽や美術、コンピュータープログラミングなど多様や選択肢が子供たちに用意され、もし得意なものが見つかれば、横並び教育ではなく、飛び級でどんどん先に進める道も用意されている。
これに対して日本は、「この道一筋」を礼賛する文化が強過ぎるためか、人生の選択肢が極めて単線的だ。子供のうちから勉強ができれば毎日塾通い、野球が好きなら野球ばかり、ピアノなら毎日ピアノ漬け--という子供が普通だ。日本のジュニアたちが野球などのスポーツでもクラシック音楽でもバレエでもゲームでも、世界的に非常に高いレベルにあるのは、おそらく練習量が圧倒的に多いからだ。
欧米の子供たちは高校生ぐらいまでは大抵掛け持ちでいろんなことに取り組んでいるため、一つの科目・種目の専門性や「練度」では日本(最近では中韓?)のトップレベルのジュニアたちより劣っていることが多いかもしれない。しかし、この力関係は大抵、大人になると逆転してしまうのだ。
一方で、日本の子供たちは途中までトップレベルでも実際にプロになれるのはひと握りなので、一つの種目で頑張ってきた子供ほど、挫折した後に別の道に進むのは容易でなくなる。
特に野球はプロとアマチュアの指導者の断絶という特有の問題もあり、プロでは当たり前になっている科学的なトレーニング方法がアマチュア指導者に十分還元されていないという問題もある。有名な野球名門校でも、いまだに選手に3合飯のドカ弁持参を強制し、夕方の練習前に部員全員で食べるという馬鹿なことをやっているという。白米は殆どが糖質で、タンパク質は少ない。体を大きくしたいなら、プロテインをとり、朝晩の練習時間を短くしてたっぷり睡眠をとる方が理にかなっているのに。有力高校出身選手はプロで活躍した有名選手ばかりクローズアップされるが、その陰で、能力がありながら体を壊してプロで成功できなかった選手たちも量産していることは、見過ごされている。プロとアマチュアとの断絶によって、アマチュア指導者は目先の成績が要求され、どうしても長期的な選手育成の視点が失われがちになってしまう。

話が少しそれてしまった。人生の選択肢が限られ、「この道一筋」をよしとする日本の文化は、子供のだけてはない。日本では「職を転々とする」とか「二足のわらじ」という言葉は、ポジティブに語られることは少ない。たまたまピッタリの道に出合った人はそれでいいが、そうでない人は自分を無理に役割に押し込める窮屈な人生を一生強いられてしまうことなり、当然ながら大多数が後者となる。人生とはそういうものだと思い込まされているとすれば、個々人にとって不幸なだけでなく、社会全体にとってもロスが大きい。
ドイツにも日本同様の職人(マイスター)文化があるが、日本のような長時間労働ではなく、QOL(生活の質)を大事にしている点で人生のバランスはいいし、子供の選択肢も多様だ。ドイツでは、地域スポーツクラブが各地域の中心にあり、トップアスリートの育成のみならず、一般市民とスポーツとの距離感も近い。フランスでは、トップアスリートの育成を全国各地にある国立のクラブが担っている。

川淵さんは、サッカーを核とする総合地域スポーツクラブを全国に張り巡らすドイツ型の地域スポーツクラブづくりを目指しているとみられる。日本では、こうしたスポーツや文化活動は学校の部活に偏重しているが、それは学校教師の献身的なボランティア活動で支えられてきた。しかし、最近では学校教師の労働環境の厳しさが問題となっており、限界に来ている。体育館やグラウンドというインフラは有効活用しながら、運営は民間に委託していく方向が合理的ではないか。

多様性と専門性の両立は、これからの社会システムに欠かせない。特に日本社会には、あらゆる分野でその両方が欠けている。

「長嶋茂雄は記録より記憶の人」は本当か

Posted by fukutyonzoku on 31.2015 スポーツ 1 comments 0 trackback


長嶋茂雄は「記録より記憶」に
残る名選手と巷間言われてきた。
確かにプロ野球界で最大のカリスマ、レジェンドとされながら、通算ホームラン数444本は歴代14位、通算打率.305は7000打数以上の打者では歴代4位、4000打数以上では歴代12位、安打数2471本は歴代9位、通算打点1522本は歴代7位にそれぞれ顔を出している程度だ。二塁打418本、三塁打74本はともに歴代8位、長打率.540も11位。一流選手の記録とは言えるが、「球界の顔」とも言える名選手の記録としては確かに少し物足りないかもしれない。
シーズン記録でも打点125(1968年)が歴代24位に出てくる程度で、本塁打39本(同年)や打率.353(1961年)は歴代40傑にも入っていない。
それでは一体、何が長嶋茂雄の凄さなのか。

シーズン最多安打10回は歴代最多

長嶋の記録で今も歴代トップ級を保持し続けている記録を探してみると、シーズン最多安打6年連続や同通算10回、シーズン150安打以上11回などは、いずれもプロ野球記録として今も抜かれていない。首位打者6回、同3回連続はともにセ・リーグ記録であり、右打者記録でもある。
また、通算の二塁打数、三塁打数、長打数、打点数、犠飛数の全てで右打者のセ・リーグ記録を保持している。通算205敬遠、打率ベストテン入り通算13回なども右打者歴代1位だ。通算2471安打は金本知憲(実働21年)に抜かれるまで、長らく大卒選手の歴代最多記録だった。打点も1522打点と大卒で唯一1500打点を突破している。
1971年、史上5人目となる通算2000本安打を達成したが、1708試合での到達は川上哲治に次いで歴代2位のスピード記録で、右打者では歴代最速。大卒では初の達成者だった。

打撃成績は同時代で傑出

6回の首位打者のうち最も2位との差が小さかったのは1963年・古葉毅との2厘差で、それ以外の5回は全て1分5厘以上の差をつけての文句なしの首位打者。このうち2回はセ・リーグ唯一の3割打者だった。
実は、長嶋が全盛期だった時代はリーグ平均打率が.230と、最近と比べれば極端に打低投高の環境だったのだ。
従って、飛びやすいラビットボールの開発で打率が高まり本塁打数が増えた時代の最近の打者との打撃成績とは本来、単純に比較すべきではない。
同時代での突出ぶりを計る傑出値であるセイバーメトリクスをみると、長嶋はほとんどの通算記録でプロ野球歴代3位以内に入っている。特に打率傑出度(RBA)では右打者歴代トップである。
通算安打を実働年数で割った年平均安打数は145本に達し、同時代に活躍した張本勲134本、榎本喜八128本、福本豊127本、王貞治126本、野村克也111本、衣笠祥雄110本、門田博光106本など、他の一流打者の平均本数と比べても突出して多い。通算打率.305は7000打数以上の選手中では歴代4位、8000打数以上の選手中では歴代2位(右打者では歴代1位)である。

3割、400本、1500打点は歴代4人のみ

実は、歴代の打者で通算打率3割以上、通算本塁打400本以上、通算打点1500打点以上を全てクリアした打者は、長嶋、王貞治、落合博満、張本勲の4人だけ。イチローのように打率はいいがホームランの少ない選手や、逆にホームランは多いが打率の低い選手は少なくない。両方のバランスが取れた「強打者」となると、そうはいないのである。
また、張本や落合はパ・リーグの弱小チームに長く在籍し、マークも比較的緩く、個人成績を上げやすい環境だったのに比べ、王と長嶋は常勝巨人の中核打者。常に相手チームからエース級をぶつけられ、徹底マークに合い続けたことを考慮すれば、張本、野村克也、落合らとも単純には比較はできない。
しかも、この4人の中で大卒は長嶋のみ。実働年数17年と、落合20年、王22年、張本23年と比べて最も短い。野村に至っては26年とさらに長い。累積記録である本塁打数や安打数などの通算記録は、球団を渡り歩き、長くプレーした方が当然有利となる。

数字に残る大舞台での勝負強さ

長島が大舞台に強かったことは、記録上にもはっきりと表れている。日本シリーズでは通算68試合に出場して通算打率.343で、王の.281を圧倒。出塁率.402・長打率.694・OPS1.096の成績を残し、シリーズ初戦では通算12試合で打率.429(49打数21安打)、4本塁打を記録。日本シリーズMVP通算4回獲得は歴代最多だ。
また、サヨナラ本塁打を含む2本塁打を放った初の天覧試合はあまりに有名だが、1966年11月6日の日米野球天覧試合でも場外本塁打を放っている。皇室観戦試合では通算10試合で打率.514(35打数18安打)、7本塁打を記録している。
チームメートだった広岡達朗は「天覧試合は長嶋のためにあったようなもの」と語り、「彼がああいう舞台で力をきっちり出せるのは、実力もさることながら物の考え方(大舞台に物怖じせず、むしろ楽しむ)がすばらしいものを持っていることが大きい」と評している。
また、当時行われていた日米野球戦では、他の多くの選手がメジャーの一流投手を相手に通算打率1割台から2割前後に抑えられた中、長嶋は69試合で打率.295(200打数59安打)の高打率を記録。通算で場外本塁打を含む6本塁打、27打点、26四死球、5盗塁を残した。LAドジャースが当時、長嶋獲得に動いたのも当然だろう。

守備範囲が広く堅守の名三塁手

長嶋は普通の三塁手よりも1.5㍍ほど後ろに守り、特に横の守備範囲が広く、遊撃手や投手の守備範囲の打球も横取りするようにキャッチすることが多かった。長嶋の守備範囲の広さは立教大学時代から有名だったが、実は通算守備率9.65はセ・リーグ歴代2位(1000試合以上)。1500試合以上対象や4200守備機会以上を対象にすれば、三塁手歴代最高となる。7353守備機会をはじめ試合数、刺殺数、補殺数、併殺数など、失策数を除くあらゆる通算守備記録でも全て三塁手のプロ野球記録なのだ。
守備指標のRRF(レンジファクター)でデビュー以来7年連続を含め三塁手リーグトップを通算8回記録。プラスシーズンとの合計値を含め、いずれも三塁手歴代トップで、シーズン214守備機会連続無失策は三塁手のプロ野球記録だ。「エラーでさえ絵になる男」として何でもないゴロをトンネルした場面の記録映像が強い印象を与えているが、実は球界屈指の堅守で守備範囲も広い名三塁手だったのだ。

盗塁も三塁打も多い俊足

新人時代に4番打者も務めながら37盗塁(リーグ2位)を記録するなど、若い頃は盗塁が多かった。結局リーグ盗塁王は取れなかったが、2位を2回、3位も1回獲得している。
また、長嶋の三塁打は通算74本(歴代8位、右打者では広瀬叔功に次いで歴代2位)と多く、1960年5月には4試合連続三塁打の日本記録も作った。

実は三振も少なかった

長嶋の空振りは、脱げたヘルメットが三塁ベンチの方へ飛んで行ったと言われる程で、豪快な空振りでファンを沸かせた。三振した際の画を考え、わざと小さめで楕円形のヘルメットをアメリカから取り寄せて、ヘルメットの飛んでいく角度など空振りの練習をしていたこともあったという。そのため、豪快な空振りやデビュー時の4打席4三振などから三振のイメージも強いが、実際には三振は少ない方だった。
三振数の打数に対する割合.090は、通算400本塁打以上を放った15人の中では張本勲、土井正博に次いで低い。400本塁打以上を記録した打者の中で三振率が1割を切っているのはこの3人だけである。

天性の身体能力

野村克也は、長嶋について「来た球を打てる天才」と称し、捕手として対戦した多くの打者の中で最もスイングスピードの速い打者は誰だったか、と問われ、長嶋だと答えている。
長嶋と対戦した多くの投手や捕手も長嶋を「計算できないバッター」と評し、権藤博や足立光宏は「長嶋さんは打てそうもないコースでもバットを投げ出したり瞬間的に腕を畳んだりしてヒットにするバッターだった」。江夏は長嶋について「打席ごとになぜ打たれたのか、なぜ打ち取れたのかが全く分からない」と語っている。
極端とも言えるアウトステップの打撃フォームについて、川上哲治は「並みの打者なら1割もおぼつかないフォーム。長嶋は天性の能力でバットのヘッドを最後まで残していたため、あんなフォームでもいろいろなボールに対応できた」と評し、少年野球教室などでは「あの打ち方は長嶋だからできるもの。真似してはいけない」と諭していた。
金田正一も「シゲはどんなに体勢が崩れていても、バットのヘッドが最後の最後まで残っていたので、最後の瞬間まで油断できなかった。凄い迫力だった」と語っている。
長嶋は自身の打撃について「コースや球種を絞って打ったことはない」と語っている。これが本当なら、プロの打者にとっては信じ難い話である。普通の打者は2ストライクに追い込まれるまで、球種とコースを絞って対応するが常識だからだ。万然と待っていて打ち返せるほど、プロの投手の球は甘くない。これに対し長嶋は、天性の動体視力とスイングスピード、足腰の強さといった身体能力が並外れて優れていたからこそ、どんな球でも何も考えずにアジャストすることができたのだろう。

万能のスーパースター

まとめると、長嶋の通算打撃記録は一見さほどでもないように見える。しかし、その原因は、大卒のため実働年数が短かったことが大きい。また、常勝チームで人気も圧倒的な球団の中核打者であり続けたためにマークが厳しいうえに、チームの勝利が最優先され、個人記録を優先するようなプレーは許されなかった。さらに、右打者は打撃の全てにおいて左打者より不利だし、長嶋の全盛期は極端な投高打低の時代でもあった。つまり、通算記録の上では不利な条件が揃っていたのだ。
しかし、特に入団から6年目くらいまでの全盛期には、走攻守を兼ね備え、打撃においては打率がよくて長打も量産し、しかもチャンスにめっぽう強い--野手に必要な全ての要素を高いレベルで持っていた「万能のスーパースター」だったことは、記録を仔細にみれば明らかだ。
オリンピックなどの体操競技では、種目ごとの競技とは別に、全種目の合計点を競う「個人総合」種目があり、この優勝者に最高の栄誉が与えられるように、もしプロ野球で「野手総合」部門があれば、長嶋が断然ナンバーワンだろう。少なくとも日本プロ野球史上最高の右打者、内野手であるのは間違いない。(敬称略)

(注)記録やエピソードはNPB公式サイト横浜ベイスターズ関連サイトウィキペディア「長嶋茂雄」などを参考にしており、一部引用しました。