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「中東の笛」をいつまで放置するのか

Posted by fukutyonzoku on 03.2016 スポーツ 0 comments 0 trackback


◼︎JFAはCASへ提訴すべき

埼玉スタジアムで1日行われたサッカーW杯アジア最終予選。日本にとって大事な初戦であるUAE戦は1ー2で黒星発進となったが、それにしてもカタール人主審のレフェリングはひどかった。あれは、相手ではなく主審の笛に敗れたようなものだ。日本サッカー協会(JFA)は抗議するというが、「抗議」程度で済ませてはいけないと思う。スポーツ仲裁裁判所(CAS)に即刻提訴すべきだろう。

もちろんこのゲームはテレビ中継で私も観戦したが、今回のカタール人主審のおかしな判定はPK(ペナルティー・キック)の採否を含め一つや二つではなかった。あの「中東の笛」は、買収が疑われても仕方ないほど酷いものだった。公平な判定なら、日本は勝っていたはずだ。あんなに酷いレフェリングに黙って従うしかない状況を今後も放置すれば、審判次第でゲームの勝敗はどうにでもなる状況を日本は認めることになる。

「なるべく事を荒立てないように、穏便に」という日本人的なメンタリティーは、こと政治外交に関しては何ら美徳でないばかりか、逆効果にさえなる。日本はこのことを戦後の対中・対韓外交で嫌というほど思い知らされてきた。あんな滅茶苦茶な判定にJFAがアジアサッカー連盟(AFC)に形ばかりの抗議をするだけでは、中東の審判たちを増長させるだけである。「日本には何をやっても大丈夫だ」と思わせ、同じことが今後も起こる可能性がある。今回の判定が仮に覆らないとしても、今後のためにもJFAは強い抗議の意思をCASへの提訴という強硬な形で示すべきなのだ。

◼︎カタール人審判はUAEの「中立国」か

そもそもなぜこの試合の主審がカタール人なのか。サッカーに限らず、国際試合の審判団は「第3国」から選出するのが常識だが、カタールはUAEの近隣国で、同じアラビア語圏かつイスラム教スンニ派が多数を占める国だ。近隣国が仲がいいとは限らないが、両国は地理的にも宗教文化的にも近い関係で、少なくとも「中立国」とは言い難い。そうした近い関係の国の審判が主審を務めるのは、「中東の笛」の疑惑を持たれないためにも避けるべきだろう。この試合は南~東南アジアの審判が主審を務めるべきだった。

◼︎「追加副審の不在」という非常識

また、本田圭佑が指摘したように、ペナルティ・エリア内を見る追加副審は、欧州の主要国内リーグやCLでは当たり前で、Jリーグでも導入しているというが、なぜW杯アジア予選にはいないのか。また、他のスポーツで導入が進んでいる「チャレンジ」システムを取り入れるくらいは、技術的、財政的には今すぐにでもできるはずだ。最高機関の国際サッカー連盟(FIFA)全体で協議しないとAFCだけの導入は無理かもしれないが、少なくともゴールかノーゴールかの判定には使えるはずで、導入にそれほどの障害があるとも思えない。ゲームが少し中断しても、その時間を審判が計り、アディショナル・タイムに加えればいいだけのことだ。
もしこの試合でもチャレンジシステムがあれば、浅野のシュートは100%ゴールと認定されていたはずだ。世界最大のメジャースポーツが、あえて前近代的な判定方法を守り続けなければならない理由はない。

◼︎遠い中東がなぜ「アジア」枠か

さらに言えば、中東と東アジアを同じ「アジア地区」としているFIFAの地域割り自体、そもそもおかしくはないか。ホーム&アウェーで条件は同じとはいえ、日本と中東とは8000km以上離れており、旅客機での移動時間も東京ー中東諸国間は11~15時間もかかる。欧州西端のリスボンから中東湾岸地域へは8時間前後、アフリカ南端のケープタウンからでも9時間台だから、中東は東アジアより欧州やアフリカの方が近いのだ。東アジアと中東では気候も違い過ぎる。これを同一地域としてW杯や五輪の予選で行き来するのは、選手の肉体的負担も大きい。中東は「アジア」から切り離して単独枠とするか、アフリカと一緒にして「中東・アフリカ枠」とするか、中央アジア~南アジアのイスラム圏と一緒にしてもいいだろう。アフリカのサハラ以北は中東と同じイスラム教国が多く、地理的にも文化的にも近い関係だ。この件をAFCとFIFAで真剣に協議すべきだ。
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スポーツに見る単線的な日本社会

Posted by fukutyonzoku on 17.2015 スポーツ 0 comments 0 trackback

日本の男子バスケットボールのトップリーグ統一問題解決のため白羽の矢が立った川淵三郎さんが、あるテレビのインタビューで「欧米では、子供たちはたいてい複数のスポーツをやっているが、日本は一つのスポーツを始めると、それ一本になってしまう」という趣旨のことを言っていた。
川淵さんは言う。「欧米では、子供たちにはいろんなスポーツができる環境があるんです。いろんなスポーツをやれば、バランスよく運動能力が発達するし、自分に向いているスポーツと出合うチャンスも多くなる。だからプロにまで掛け持ちで複数の競技をする選手が生まれるんです。日本でもそういう環境を作りたい」と。

なるほど、と思う。これはスポーツに限った話ではないだろう。勉学のみならず、音楽や美術、コンピュータープログラミングなど多様や選択肢が子供たちに用意され、もし得意なものが見つかれば、横並び教育ではなく、飛び級でどんどん先に進める道も用意されている。
これに対して日本は、「この道一筋」を礼賛する文化が強過ぎるためか、人生の選択肢が極めて単線的だ。子供のうちから勉強ができれば毎日塾通い、野球が好きなら野球ばかり、ピアノなら毎日ピアノ漬け--という子供が普通だ。日本のジュニアたちが野球などのスポーツでもクラシック音楽でもバレエでもゲームでも、世界的に非常に高いレベルにあるのは、おそらく練習量が圧倒的に多いからだ。
欧米の子供たちは高校生ぐらいまでは大抵掛け持ちでいろんなことに取り組んでいるため、一つの科目・種目の専門性や「練度」では日本(最近では中韓?)のトップレベルのジュニアたちより劣っていることが多いかもしれない。しかし、この力関係は大抵、大人になると逆転してしまうのだ。
一方で、日本の子供たちは途中までトップレベルでも実際にプロになれるのはひと握りなので、一つの種目で頑張ってきた子供ほど、挫折した後に別の道に進むのは容易でなくなる。
特に野球はプロとアマチュアの指導者の断絶という特有の問題もあり、プロでは当たり前になっている科学的なトレーニング方法がアマチュア指導者に十分還元されていないという問題もある。有名な野球名門校でも、いまだに選手に3合飯のドカ弁持参を強制し、夕方の練習前に部員全員で食べるという馬鹿なことをやっているという。白米は殆どが糖質で、タンパク質は少ない。体を大きくしたいなら、プロテインをとり、朝晩の練習時間を短くしてたっぷり睡眠をとる方が理にかなっているのに。有力高校出身選手はプロで活躍した有名選手ばかりクローズアップされるが、その陰で、能力がありながら体を壊してプロで成功できなかった選手たちも量産していることは、見過ごされている。プロとアマチュアとの断絶によって、アマチュア指導者は目先の成績が要求され、どうしても長期的な選手育成の視点が失われがちになってしまう。

話が少しそれてしまった。人生の選択肢が限られ、「この道一筋」をよしとする日本の文化は、子供のだけてはない。日本では「職を転々とする」とか「二足のわらじ」という言葉は、ポジティブに語られることは少ない。たまたまピッタリの道に出合った人はそれでいいが、そうでない人は自分を無理に役割に押し込める窮屈な人生を一生強いられてしまうことなり、当然ながら大多数が後者となる。人生とはそういうものだと思い込まされているとすれば、個々人にとって不幸なだけでなく、社会全体にとってもロスが大きい。
ドイツにも日本同様の職人(マイスター)文化があるが、日本のような長時間労働ではなく、QOL(生活の質)を大事にしている点で人生のバランスはいいし、子供の選択肢も多様だ。ドイツでは、地域スポーツクラブが各地域の中心にあり、トップアスリートの育成のみならず、一般市民とスポーツとの距離感も近い。フランスでは、トップアスリートの育成を全国各地にある国立のクラブが担っている。

川淵さんは、サッカーを核とする総合地域スポーツクラブを全国に張り巡らすドイツ型の地域スポーツクラブづくりを目指しているとみられる。日本では、こうしたスポーツや文化活動は学校の部活に偏重しているが、それは学校教師の献身的なボランティア活動で支えられてきた。しかし、最近では学校教師の労働環境の厳しさが問題となっており、限界に来ている。体育館やグラウンドというインフラは有効活用しながら、運営は民間に委託していく方向が合理的ではないか。

多様性と専門性の両立は、これからの社会システムに欠かせない。特に日本社会には、あらゆる分野でその両方が欠けている。

「長嶋茂雄は記録より記憶の人」は本当か

Posted by fukutyonzoku on 31.2015 スポーツ 1 comments 0 trackback


長嶋茂雄は「記録より記憶」に
残る名選手と巷間言われてきた。
確かにプロ野球界で最大のカリスマ、レジェンドとされながら、通算ホームラン数444本は歴代14位、通算打率.305は7000打数以上の打者では歴代4位、4000打数以上では歴代12位、安打数2471本は歴代9位、通算打点1522本は歴代7位にそれぞれ顔を出している程度だ。二塁打418本、三塁打74本はともに歴代8位、長打率.540も11位。一流選手の記録とは言えるが、「球界の顔」とも言える名選手の記録としては確かに少し物足りないかもしれない。
シーズン記録でも打点125(1968年)が歴代24位に出てくる程度で、本塁打39本(同年)や打率.353(1961年)は歴代40傑にも入っていない。
それでは一体、何が長嶋茂雄の凄さなのか。

シーズン最多安打10回は歴代最多

長嶋の記録で今も歴代トップ級を保持し続けている記録を探してみると、シーズン最多安打6年連続や同通算10回、シーズン150安打以上11回などは、いずれもプロ野球記録として今も抜かれていない。首位打者6回、同3回連続はともにセ・リーグ記録であり、右打者記録でもある。
また、通算の二塁打数、三塁打数、長打数、打点数、犠飛数の全てで右打者のセ・リーグ記録を保持している。通算205敬遠、打率ベストテン入り通算13回なども右打者歴代1位だ。通算2471安打は金本知憲(実働21年)に抜かれるまで、長らく大卒選手の歴代最多記録だった。打点も1522打点と大卒で唯一1500打点を突破している。
1971年、史上5人目となる通算2000本安打を達成したが、1708試合での到達は川上哲治に次いで歴代2位のスピード記録で、右打者では歴代最速。大卒では初の達成者だった。

打撃成績は同時代で傑出

6回の首位打者のうち最も2位との差が小さかったのは1963年・古葉毅との2厘差で、それ以外の5回は全て1分5厘以上の差をつけての文句なしの首位打者。このうち2回はセ・リーグ唯一の3割打者だった。
実は、長嶋が全盛期だった時代はリーグ平均打率が.230と、最近と比べれば極端に打低投高の環境だったのだ。
従って、飛びやすいラビットボールの開発で打率が高まり本塁打数が増えた時代の最近の打者との打撃成績とは本来、単純に比較すべきではない。
同時代での突出ぶりを計る傑出値であるセイバーメトリクスをみると、長嶋はほとんどの通算記録でプロ野球歴代3位以内に入っている。特に打率傑出度(RBA)では右打者歴代トップである。
通算安打を実働年数で割った年平均安打数は145本に達し、同時代に活躍した張本勲134本、榎本喜八128本、福本豊127本、王貞治126本、野村克也111本、衣笠祥雄110本、門田博光106本など、他の一流打者の平均本数と比べても突出して多い。通算打率.305は7000打数以上の選手中では歴代4位、8000打数以上の選手中では歴代2位(右打者では歴代1位)である。

3割、400本、1500打点は歴代4人のみ

実は、歴代の打者で通算打率3割以上、通算本塁打400本以上、通算打点1500打点以上を全てクリアした打者は、長嶋、王貞治、落合博満、張本勲の4人だけ。イチローのように打率はいいがホームランの少ない選手や、逆にホームランは多いが打率の低い選手は少なくない。両方のバランスが取れた「強打者」となると、そうはいないのである。
また、張本や落合はパ・リーグの弱小チームに長く在籍し、マークも比較的緩く、個人成績を上げやすい環境だったのに比べ、王と長嶋は常勝巨人の中核打者。常に相手チームからエース級をぶつけられ、徹底マークに合い続けたことを考慮すれば、張本、野村克也、落合らとも単純には比較はできない。
しかも、この4人の中で大卒は長嶋のみ。実働年数17年と、落合20年、王22年、張本23年と比べて最も短い。野村に至っては26年とさらに長い。累積記録である本塁打数や安打数などの通算記録は、球団を渡り歩き、長くプレーした方が当然有利となる。

数字に残る大舞台での勝負強さ

長島が大舞台に強かったことは、記録上にもはっきりと表れている。日本シリーズでは通算68試合に出場して通算打率.343で、王の.281を圧倒。出塁率.402・長打率.694・OPS1.096の成績を残し、シリーズ初戦では通算12試合で打率.429(49打数21安打)、4本塁打を記録。日本シリーズMVP通算4回獲得は歴代最多だ。
また、サヨナラ本塁打を含む2本塁打を放った初の天覧試合はあまりに有名だが、1966年11月6日の日米野球天覧試合でも場外本塁打を放っている。皇室観戦試合では通算10試合で打率.514(35打数18安打)、7本塁打を記録している。
チームメートだった広岡達朗は「天覧試合は長嶋のためにあったようなもの」と語り、「彼がああいう舞台で力をきっちり出せるのは、実力もさることながら物の考え方(大舞台に物怖じせず、むしろ楽しむ)がすばらしいものを持っていることが大きい」と評している。
また、当時行われていた日米野球戦では、他の多くの選手がメジャーの一流投手を相手に通算打率1割台から2割前後に抑えられた中、長嶋は69試合で打率.295(200打数59安打)の高打率を記録。通算で場外本塁打を含む6本塁打、27打点、26四死球、5盗塁を残した。LAドジャースが当時、長嶋獲得に動いたのも当然だろう。

守備範囲が広く堅守の名三塁手

長嶋は普通の三塁手よりも1.5㍍ほど後ろに守り、特に横の守備範囲が広く、遊撃手や投手の守備範囲の打球も横取りするようにキャッチすることが多かった。長嶋の守備範囲の広さは立教大学時代から有名だったが、実は通算守備率9.65はセ・リーグ歴代2位(1000試合以上)。1500試合以上対象や4200守備機会以上を対象にすれば、三塁手歴代最高となる。7353守備機会をはじめ試合数、刺殺数、補殺数、併殺数など、失策数を除くあらゆる通算守備記録でも全て三塁手のプロ野球記録なのだ。
守備指標のRRF(レンジファクター)でデビュー以来7年連続を含め三塁手リーグトップを通算8回記録。プラスシーズンとの合計値を含め、いずれも三塁手歴代トップで、シーズン214守備機会連続無失策は三塁手のプロ野球記録だ。「エラーでさえ絵になる男」として何でもないゴロをトンネルした場面の記録映像が強い印象を与えているが、実は球界屈指の堅守で守備範囲も広い名三塁手だったのだ。

盗塁も三塁打も多い俊足

新人時代に4番打者も務めながら37盗塁(リーグ2位)を記録するなど、若い頃は盗塁が多かった。結局リーグ盗塁王は取れなかったが、2位を2回、3位も1回獲得している。
また、長嶋の三塁打は通算74本(歴代8位、右打者では広瀬叔功に次いで歴代2位)と多く、1960年5月には4試合連続三塁打の日本記録も作った。

実は三振も少なかった

長嶋の空振りは、脱げたヘルメットが三塁ベンチの方へ飛んで行ったと言われる程で、豪快な空振りでファンを沸かせた。三振した際の画を考え、わざと小さめで楕円形のヘルメットをアメリカから取り寄せて、ヘルメットの飛んでいく角度など空振りの練習をしていたこともあったという。そのため、豪快な空振りやデビュー時の4打席4三振などから三振のイメージも強いが、実際には三振は少ない方だった。
三振数の打数に対する割合.090は、通算400本塁打以上を放った15人の中では張本勲、土井正博に次いで低い。400本塁打以上を記録した打者の中で三振率が1割を切っているのはこの3人だけである。

天性の身体能力

野村克也は、長嶋について「来た球を打てる天才」と称し、捕手として対戦した多くの打者の中で最もスイングスピードの速い打者は誰だったか、と問われ、長嶋だと答えている。
長嶋と対戦した多くの投手や捕手も長嶋を「計算できないバッター」と評し、権藤博や足立光宏は「長嶋さんは打てそうもないコースでもバットを投げ出したり瞬間的に腕を畳んだりしてヒットにするバッターだった」。江夏は長嶋について「打席ごとになぜ打たれたのか、なぜ打ち取れたのかが全く分からない」と語っている。
極端とも言えるアウトステップの打撃フォームについて、川上哲治は「並みの打者なら1割もおぼつかないフォーム。長嶋は天性の能力でバットのヘッドを最後まで残していたため、あんなフォームでもいろいろなボールに対応できた」と評し、少年野球教室などでは「あの打ち方は長嶋だからできるもの。真似してはいけない」と諭していた。
金田正一も「シゲはどんなに体勢が崩れていても、バットのヘッドが最後の最後まで残っていたので、最後の瞬間まで油断できなかった。凄い迫力だった」と語っている。
長嶋は自身の打撃について「コースや球種を絞って打ったことはない」と語っている。これが本当なら、プロの打者にとっては信じ難い話である。普通の打者は2ストライクに追い込まれるまで、球種とコースを絞って対応するが常識だからだ。万然と待っていて打ち返せるほど、プロの投手の球は甘くない。これに対し長嶋は、天性の動体視力とスイングスピード、足腰の強さといった身体能力が並外れて優れていたからこそ、どんな球でも何も考えずにアジャストすることができたのだろう。

万能のスーパースター

まとめると、長嶋の通算打撃記録は一見さほどでもないように見える。しかし、その原因は、大卒のため実働年数が短かったことが大きい。また、常勝チームで人気も圧倒的な球団の中核打者であり続けたためにマークが厳しいうえに、チームの勝利が最優先され、個人記録を優先するようなプレーは許されなかった。さらに、右打者は打撃の全てにおいて左打者より不利だし、長嶋の全盛期は極端な投高打低の時代でもあった。つまり、通算記録の上では不利な条件が揃っていたのだ。
しかし、特に入団から6年目くらいまでの全盛期には、走攻守を兼ね備え、打撃においては打率がよくて長打も量産し、しかもチャンスにめっぽう強い--野手に必要な全ての要素を高いレベルで持っていた「万能のスーパースター」だったことは、記録を仔細にみれば明らかだ。
オリンピックなどの体操競技では、種目ごとの競技とは別に、全種目の合計点を競う「個人総合」種目があり、この優勝者に最高の栄誉が与えられるように、もしプロ野球で「野手総合」部門があれば、長嶋が断然ナンバーワンだろう。少なくとも日本プロ野球史上最高の右打者、内野手であるのは間違いない。(敬称略)

(注)記録やエピソードはNPB公式サイト横浜ベイスターズ関連サイトウィキペディア「長嶋茂雄」などを参考にしており、一部引用しました。

日本人の脳特性とサッカー(FOOT×BRAIN)

Posted by fukutyonzoku on 28.2014 スポーツ 0 comments 0 trackback


9月27日深夜にテレビ東京で放送された「FOOT×BRAIN」は、脳科学者の中野信子氏をゲストに迎え「日本人はサッカーが苦手!?」をテーマに、日本人の脳の特性を分析した。中野は、「気合」で脳が育ったりはしないので、その人の脳に合ったトレーニング法や勝ち方があるといい、日本人の脳の特性に合った指導方法を伝授した。
これが「目から鱗」の分析が盛り沢山で、実に面白かった。
http://www.tv-tokyo.co.jp/smp/program/detail/21594_201409272330.html

日本人は世界一の心配性

日本人の脳の特徴その1は「世界で一番心配性の人が多い」こと。中野によると、何となく心配性の人が多いのではなく、それは遺伝子レベルで決まっている。東洋人は心身の安定性に関与するセロトニンの量を調整する「セロトニン・トランスポーター」の機能が弱く、セロトニンの量が少ないのだという。このため、心配性の人の割合が東アジアでは約70%を超え、特に日本人は80%を超えている。この割合は世界で日本人が最も高いという(米国では4割台? ラテン系はもっと低い)。
セロトニンの受容機能が低いということは、もしかしたらてんかん質(キレやすい)やヒステリックな人が多く、うつ病や自殺が多いこととも関係しているのかもしれない。

世界一正確性を重視、直感を嫌う

日本人の脳の特徴その2は「世界で一番正確性を重視する」。中野氏によると、人は反射的なXシステムと計算的なCシステムの2つの意思決定システムを持っている。日本人が最優先で考えるのは正確性で、Cシステムの意思決定に従おうとする。秒単位で正確な山手線などの鉄道運行などは、恐らく日本人にしかできないとか。逆に、反射的直感的に判断することは苦手で、これがサッカーの判断の遅さや決定力不足の原因かもしれないというのだ。
日本企業は会議ばかりやって判断しない、経営判断のスピードが致命的に遅いとよく批判されるが、この脳の特性とも関係しているのかもしれない。

世界一チャレンジが苦手な民族?


日本人の脳の特徴その3は「世界で一番失敗を嫌う」。快感や幸福感に関与するドーパミン、そのドーパミンと結合して脳に情報を伝える「ドーパミン・レセプター(受容体)」。ドーパミンを脳に伝えるスイッチの入り方が人によって違い、入りやすい人は快感や満足感を得やすいのだという。逆に入りにくい人はたくさんのドーパミンが必要で、常に刺激を求めてチャレンジしないと満足できない脳になっている。
日本人はこのスイッチが入りやすい人が多い。つまり、満足感を得やすい半面、チャレンジを嫌う民族だという。低い人の割合は日本人には1%程度しかいないのに対し、欧米や特にラテン系の南米には4割以上と多い。

ナビゲーション・ニューロンを鍛えよ

「心配性で失敗を恐れ、チャレンジを嫌い、瞬間的な判断が遅い」--この日本人の脳特性は、やはりサッカーには致命的に向いていないということの再立証のようにも思える。
しかし、中野氏は「失敗してもチャレンジの失敗ではなく、日常のことと捉える練習を重ねることで克服は可能」だという。想定外のチャレンジを強要するのではなく、全てを「想定内」だと考えるよう訓練することが日本人には必要だというのだ。
また判断が遅いことに対して中野は、「ナビゲーション・ニューロン」を鍛えることを提案。ナビゲーション・ニューロンは、無意識で体の動きを決める神経細胞のことで、同じことを繰り返すことで機能がアップする。つまり、一流選手がみなやっているように、考える前に体が自然と反応するようになるまで反復練習を繰り返し、体に覚え込ませるしかないのだが、これには真面目で努力家の性格がプラスに働くのだ。

「アメとムチ」でなく「アメとムシ」

また中野は、あるマウス実験を紹介。T字路で右に曲がれば電気ショック、左に曲がれば餌がある。最初に右に曲がって電気ショックを体験したマウスはその後、どうするか。今度は左に行くのかと多くの人は想像してしまうが、実際にはそうではなく、そのマウスはもうT字路の下の入り口で動かなくなってしまうというのだ。つまり、大きな精神的ショックを先に受けてしまうと、餌を獲りに行こうとする意欲を失ってしまうというのだ。
このことから、指導者に対しては「アメとムチ」ではなく「アメとムシ(無視)」が有効だという。ムチ(叱責)は(特に子供に対して? )意欲をなくすリスクが大きい。恐らく真面目で失敗を恐れる日本人にはなおさらなのだろう。
指導者はもっとたくさん褒め、叱りたくなっても叱らずに無視すればよい、という。褒められず無視されれば、子供やプレーヤーは「どうしていつも褒めてくれるのに褒めてくれないのだろう」と自分で考えるようになるから、教育効果もこちらの方が大きいのだとか。

数千年安定が続いた「蛸壺社会」

日本人の生真面目で失敗を恐れるがゆえに保守的で努力家で、さらには仕事が正確で時間にうるさい性質は、社会的に形成されたものだと思っていたが、実はそうではなく脳のDNAレベルで決定づけられていたというのだ。日本人に自殺が多いのも、心配性で失敗を恐れるという内向的な遺伝的性格が原因ということになるのだろう。
日本は非常に安定した社会を数千年という長い間保持し続けてきた世界でも稀有の民族である。安定した「蛸壺社会」が長い間にそういうDNAを選んだり(適者生存)、或いは少しつづ変えたりしてきたという相互作用も恐らくはあったのだろう。

ソチ五輪に見るスキーブランドの変遷

Posted by fukutyonzoku on 12.2014 スポーツ 15 comments 0 trackback
ソチ五輪でのスキー競技をテレビで見ながら、選手が使用しているマテリアルのブランドが気になって、少し調べてみた。

雪国育ちの私は、近くに手頃なスキー場があったこともあり、小学校に入る以前からスキーを始めていた。小中時代には地元の大会に毎冬出場するなどアルペンスキー(斜面に立てた旗門をくぐりタイムを競うスキーレース。回転、大回転、滑降など)も齧った。1990年代以降はスキー板の主流が、曲がりやすく短かいカービングスキーに変わってからも、「FISCHRE」(フィッシャー、オーストリア)のカービングスキーを購入し、雪国で勤務していた頃には現地で開催されるスキー大会でシニアの部に幾度かエントリーするなど、競技者としても多少の経験がある。このため競技スキーには今でも関心があり、世界のトップ選手の技術と同時に、使用しているマテリアルにもついつい目がいってしまうのだ。

モーグルの板は日本製2社がほぼ独占


モーグルでは「ID one」と「Hart」がほぼ独占(右端は日本男子のエース、遠藤尚選手)

モーグルで目立ったスキー板のブランドは「ID one」(アイ・ディー・ワン)と「Hart」(ハート)で、ともに日本のブランド。モーグルの国内トップ選手は上村愛子が「ID one」、伊藤みきや遠藤尚らが「Hart」。ソチ五輪を見ていても、この両ブランドが8割方独占している印象で、これは嬉しい発見だった。私が子供の頃にはモーグルという競技自体、聞いたことさえなかったものだが…。


「Hart」の遠藤尚選手(左)と「ID one」の上村愛子選手


「Hart」の伊藤みき選手。ソチ五輪ではケガに泣いた

Hartは1955年に米国で生まれたブランドで、1970年代にフリースタイルで一世を風靡した。その後撤退したようで、日本のスキー量販店「アルペン」のグループ会社、ジャパーナ(本社・名古屋市)が商標権を取得。同社は、スキー分野から97年に撤退したヤマハの岐阜県内の生産設備と職人を引き継ぎ、取得した「Hart」ブランドで新たにスキー生産を開始した。つまり現在のHartスキーは、ピアノやバイクで有名なあのYAMAHAがルーツなのだ。
ヤマハスキーと言えば、92年アルベールビル五輪男子回転で金メダルを獲得したヤッゲ(ノルウェー)が履いていた名門だった。
http://www.alpen-group.jp/brand/japana.html#hart

一方「ID one」は、大阪のスポーツ用品卸売り・小売りのマテリアルスポーツ社が2000年に立ち上げた新興の純国産スキー板。デザインやロゴが斬新で、見慣れないと一見してどのブランドか分かりにくい。スキーの汚れと間違うような、墨汁を落とした跡のような部分もある。上村愛子選手をはじめ、世界の錚々たるトップ選手がこの板を使用している。上村選手は高校生だった最初の五輪ではHartの板を履いていたが、その後ID oneに乗り替えたようだ。ただ、板以外はHartを使用するHartの契約選手でもある。
http://www.idoneski.com/athlete.html

姿を消した国産名門ブランド

かつて国内にはヤマハ以外にも、ともに大正時代の1912年に創業した名門オガサカ(小賀坂、長野市)とカザマ(風間、新潟県)、さらに戦前の1937年に長野県庁の要請で学校教育用のスキー製造を開始したニシザワ(西沢、長野県)など、多くの名門国産スキーメーカーが凌ぎを削っていた。
オガサカは全日本スキー連盟(SAJ)の「公式認定スキー」の感があり、滑りの美しさを競う基礎スキー(デモンストレーション・スキー)界で独特の地位を確立している。


オガサカスキーは健在

カザマはかつて、板のトップの反り返り部分に小さな穴を5つ空けて風の抵抗を抑える、という独創的な板を出していた記憶が今も鮮明だ。
私が子供 の頃、一般のゲレンデスキーヤーの間ではこれら国産板が主流だった。当時は今より遥かに円安で、舶来モノより国産スキーの方が値ごろ感があったし、これら国産スキー板は「柔軟性が高く、日本の雪質(べた雪)に合っており扱いやすい」イメージが定着していた。
しかし、バブル崩壊後のスキー人気低迷や円高による輸入製品価格の低下に押され、96年にカザマが倒産。97年にヤマハがスキーから撤退、98年にニシザワも撤退。こうして名門国産メーカーは実質的に姿を消した。
カザマの商標権はジャパーナが、ニシザワの商標権はスポーツ量販店ヒラヤマ(本社・岐阜県)が、それぞれ引き継いだ。しかし、現在のものは中国の工場で製造されている量産品で、かつての名門国産ブランドのロゴを貼り付けただけのスポーツ量販店のプライベートブランド(PB)に過ぎない。かつての名門ブランドとは別物と考えた方が良さそうだ。ヒラヤマはその後、
ニシザワブランドのスキー製造をやめてしまったようだ。
なお、カザマ倒産後にカザマにいた技術者数人が新たに立ち上げた国産ブランドが「KEI-SKI」である。
http://s.ameblo.jp/9daime/entry-10385388161.html

「Hart」は伝統的にフリースタイルスキーのブランドイメージが強いようで、ソチ五輪でもモーグルでしか見かけないが、アルペン界で日本製Hartを草創期から使用しているのが日本のアルペン界のエース、湯浅直樹選手。W杯など欧州転戦にもHartの職人がエンジニアスタッフとして帯同している。スキー量販店「アルペン」は、レース用スキー板としてHartの「湯浅直樹モデル」も販売している。
ただし、これは他の有力メーカーも事情は同じだろうが、一般向けの量産品は中国の自社工場やスロベニア(ELAN社によるOEM)で生産されているようだ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/madeinjapan/81207.html
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1353523633

撤退が相次いだジャンプ板

ジャンプで一番目立つ板は、ショッキングイエロー地に黒のマークや文字でお馴染みの「FISCHRE」。葛西紀明や伊藤有希らもこの板だ。他には高梨沙羅の「ELAN」(エラン、スロベニア)と「fluege.de」(ドイツ)。


「FISCHER」の葛西紀明選手


「ELAN」の高梨沙羅選手

fluege.deは私も最近のW杯のテレビ中継をみて初めて知ったのだが、2010年に設立されたドイツの新興ブランドらしい。
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13113690883

かつてはジャンプの板でも、アルペンの名門ブランドであるROSSIGNOL(ロシニョール、フランス)やATOMIC(アトミック、オーストリア)もよく見かけた(原田雅彦選手ら多くのトップジャンパーがかつてROSSIGNOLを履いていた)が、相次いでジャンプ用のスキー板生産から撤退し、現在は上記の3ブランドで9割以上を占めている印象だ。この3ブランド以外には、青空に雲が浮かんでいるようなデザインの板もたまに見掛けるが、この板は不思議なことにロゴも文字もなく、どこのブランドなのかわからない。
ジャンプは特殊な競技で、一般スキーヤーが存在しないので、作るのはそれほど数が多くない競技者向けだけとなり、量産が利かない。それでも製造するメリットは、一般スキーヤーへの間接的な広告宣伝だけだろうが、その宣伝によって一般向けのゲレンデ用スキーが売れたのか、イメージアップにつながったのか、その効果は測りにくいはずだ。その製造部門が厳しい立場に立たされやすいことは、容易に想像できる。

また、ノルディック複合ノーマルヒルでは渡部暁斗選手が銀メダルを獲得したが、渡部選手はジャンプ、平地を滑るクロスカントリーともに板はFISCHER製。渡部選手を含め、表彰台に立った3人ともクロスカントリーの板はFISCHERだった。クロスカントリー用の板も、ジャンプほどではないが一般マーケットが限られるため、製造メーカーは少ないのだろう。


クロスカントリーではFISCHERと
ROSSIGNOLしか見かけなかった。ROSSIはジャンプからは撤退してもクロカンからは撤退していなかったのだ。



アルペン用は名門が健在

一方、アルペンやフリースタイルのスロープスタイルなどを見ていると、モーグルやジャンプ以上に選手の使用ブランドに多様性があり、かつての名門ブランドも案外健在だ。
ROSSIGNOL、FISCHER、ATOMIC、ROSSI傘下のDYNASTAR(ディナスター、フランス=「オーストリア」は間違いだとご指摘を受けて訂正)、VOLKL(フォルクル、ドイツ)、BLIZZARD(ブリザード、オーストリア)などだ。


「ROSSIGNOL」のカービングスキー板


「ATOMIC」のカービングスキー板


「VOLKL」のカービングスキー板

VOLKLはかつて日本では英語読みで「ボルクル」と呼ばれ(DYNASTARは「ダイナスター」だった)、私も小学校高学年~中学時代に履いていた。ただ、米名門ブランド「K2」(ケイツー、米国)やELANは、残念ながらアルペン競技では殆ど見かけなくなった。スロープスタイルでは「K2」を1人だけ見かけたが…。
K2は、1964年に米シアトルでカーシュナー兄弟により設立。ブランド名は創業者兄弟の名前の頭文字と、中国とパキスタンに跨がる世界2番目の高峰「K2」に由来する。1984年のサラエボ五輪スラロームで米国のメイヤー兄弟が金、銀メダルを独占。米国ブランド「K2」は、アルペン界で一躍トップブランドに躍り出た。
実は私も高校~大学時代に2㍍のK2フィル・メイヤーモデルを履いていた。カービングスキー以前のアルペン競技の板は長かったのだ。
その後、K2はフリースタイルでもトップブランドとなり、今ではむしろフリースタイルの板というイメージが強いようだ。米国のスキートレンド自体がフリースタイル隆盛期へと移行していった影響なのだろう。
なお、米国製の板と言えば、ゲレンデではかつて「OLIN」(オーリン)という板も高級ブランドとして人気があった。この板はレースでは殆ど見たことがなく(フリースタイルスキーの草分け?)、“中高年が履く板”というイメージだったが、その後姿を消してしまった。
http://james-bond007.jimdo.com/ジェームズ-ボンドのスキー/?mobile=1

ELANは70年代にはスウェーデンの英雄ステンマルクが履いてW杯で連勝し、一躍国際的ブランドになった。最近はジャンプではメジャーな存在だが、アルペンで見つけるのは難しい。


「K2」のカービングスキー板

みなみに、私が子供だった70年代のジュニアたちの競技スキーの定番は、板がロシニョール、ブーツはLANGE(ラング、ROSSI傘下)、ビンディングはSALOMON(サロモン)とフランスチームのラインナップが定番だった。私はブーツはラングだったが、板はボルクル、ビンディングはMARKER(マーカー、ドイツ)と少数派だった。ビンディングはこのほか、TYROLIA(チロリア、オーストリア)だが、日本では競技用より一般のゲレンデスキーヤーに人気があった印象がある。


かつてスキーレース用ブーツで絶大な人気を誇った「LANGE」

総合メーカー化の流れ

サロモンはその後、板やブーツも製造する総合スキーメーカーになったようで、最近日本でもシェアを伸ばしている。私のようなオールド世代には、サロモンはビンディングメーカーとの認識しかなく、「サロモンの板」には正直、大いに違和感がある。




「S」の大きなロゴが印象的なSALOMON

しかし、スラロームをみていると、欧州の選手を中心にサロモンの板はかなり目立っていた。どうやら、フランスではサロモンが「勝ち組」となり、総合スポーツブランドに進化したようだ。今ではランニングシューズなども作っているようだ。
なお、ソチ五輪ではロシニョールのブーツや、かつて名門ブーツメーカーだったNORDICA(ノルディカ、イタリア)の板もみかけ、度々のけ反った。M&Aによる総合メーカー化がスキーマテリアルの世界でも進んだことがよくわかる。

躍進著しい「HEAD」

アルペンの板ではSALOMONと並んで目に付いたブランドがHEAD(ヘッド、オーストリア)。特に北米勢はHEADが圧倒的に多い。


ロゴの大きな文字が目立つ「HEAD」の板

HEADは元々米国ブランドで、滑降などの高速系に強い板という印象だったが、カービング・スキーに変わって以降はアルペン全般で競技用でも一般ゲレンデ向けでも大きくシェアを伸ばした。今では量産品でもトップブランドになっているようだ。テニスラケットのブランドとして馴染み深い人も多いのではないか。ちなみに私が最近履いているスキーブーツはHEAD製だ。

ポール(ストック)ではLEKI(レキ、ドイツ)が目立つ。私は最近まで知らなかったブランドだ。かつては私も使っていたスケルトングリップのKERMA(ケルマ、ドイツ? オーストリア?)やSCOTT(スコット、スイス)が人気だったが、KERMAは今はROSSIGNOLグループの傘下に入っているらしい。ゴーグルはCARRERA(カレラ、オーストリア/イタリア)、UVEX(ウベックス、ドイツ)が昔からトップブランドで、今もそれほど変わっていないようだ。
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1057209685
http://m.blogs.yahoo.co.jp/kaz_itoh/25898635.html
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