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インディ500「日本人の優勝は不愉快」米記者ツイートは人種差別ではない

Posted by fukutyonzoku on 02.2017 国際 0 comments 0 trackback


世界3大自動車レースの一つ、米「インディ500」で佐藤琢磨選手が日本人として初めて優勝した。この快挙に対し、コロラド州の『デンバー・ポスト』紙のベテランスポーツライター、テリー・フライ記者が「日本人の優勝はとても不愉快だ」とツイートし、「人種差別だ」と批判が殺到。同紙は即刻フライ記者を解雇し、謝罪した。日本のネット空間でも「人種差別」批判が沸騰。同時に、デンバーポスト紙による即座の謝罪とフライ記者解雇という素早い対応に対し、「英断だ」と評価する声が上がっている。

しかし、筆者はフライ記者のツイートが日本人差別とは全く思わない。

◾️当日は沖縄戦に従軍した亡父を墓参

フライ記者のツイートは、次の内容だった(既に削除済み)。

Nothing specifically personal, but I am very uncomfortable with a Japanese driver winning the Indianapolis 500 during Memorial Day weekend.



(特に個人的な関係はないが、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の週末に日本人ドライバーがインディ500で優勝したことは、とても不愉快だ)=筆者訳

日本語のブログ記事の中には、フライ記者が「『ジャップがインディ500で優勝しやがった!』と罵倒した」などと悪意に満ちた歪曲をしている者もいるが、原文を読めば分かる通り、フライ記者は“Jap”という差別表現は使っておらず、「罵倒」というニュアンスとも明らかに違う。
同記者は短文の中に敢えて「メモリアルデーの週末に…」とメモリアルデーに言及している。インディ500は米国人なら誰もが知る米国最大級のスポーツイベント。「メモリアルデーの週末」に決勝が行われることは毎年恒例でもあるので、単にインディ500を説明するための修飾語や説明としてなら不要だ。
つまり、彼は単にインディ500に日本人が勝ったことが不愉快だというより、「戦死者を悼むメモリアルデーに連なる米国の特別なレースに日本人が勝ったこと」が不愉快だ、とのニュアンスを伝えたかったなのだと分かる。

彼は、騒動後に投稿した佐藤選手らに対する謝罪文の中で、決勝レース当日の日曜日(5月28日)に、米空軍パイロットだった亡父を地元デンバーのフォート・ローガン国立墓地に見舞い、エモーショナルになっていたと弁明している。彼の父は沖縄戦にも従軍し、戦友を亡くしているとも。第二次世界大戦で戦死したアスリートの物語を取材をしたこともあるという。

◾️メモリアルデーとインディ500

米国のメモリアルデー(5月最終月曜日)は元々、南北戦争で亡くなった北米兵士を讃える催しだったが、時代を追って次第に対象が拡大。今では米国の全戦没兵を讃える行事になっている。メモリアルデーに合わせ、戦争に限らず亡くなった家族を悼んだり、過去1年間に亡くなった信者を悼む特別なミサを開くキリスト教会もあるという。
また親族が年に1度集まったり、家族でピクニックを楽しむ連休ともなっている。つまり、このメモリアルデーの3連休は、日本の「お盆休み」とよく似ているのだ。親族が集まり、先祖代々の墓を参り、終戦記念日(8月15日)とも重なっているため、戦没者を慰霊する。日本の場合は、この連休中の最大のスポーツイベントは夏の甲子園だろう。甲子園でも高校球児は15日の正午には戦没者に黙祷を捧げる。日本人にとって夏の甲子園大会と戦争の記憶は、切っても切り離せない関係だ。だからこそ民族的なスポーツイベントなのだ。

米国のメモリアルデーでは、前日の日曜日に決勝レースが行われるビックイベントがインディ500である。
五大湖の南に位置するインディアナ州の州都・インディアナポリスのモーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル(約4km)を200周、走行距離500マイル(804km)の先着を競う「世界最速の周回レース」(最高速度380km)。3億円近い優勝賞金を含め賞金総額15億円以上。練習や予選、関連イベントを含めれば毎年2週間~1カ月間も開催されているが、決勝には約40万人もの観客を集める。NFLのスーパーボールやMLBのワールドシリーズにも匹敵する米最大級のスポーツイベントだ。地上波テレビで全米生中継されている。
第1回開催は、大衆車の先駆け「T型フォード」が大量生産を開始した3年後の1911年で、今年で101回目。世界3大自動車レースと言われるル・マン24時間レース(1923年~)、F1モナコGP(29年~)の中でも最も伝統がある。当時の日本は大正時代。実験的な「国産車モドキ」を除けば、本格的な国産化はまだ遠い夢という時代だ。
モータースポーツの「本家」は米国であり、特にトランプ支持層とも重なる中西部の白人保守層にとって、インディ500がいかに特別なレースであるかは、米在住の日本人作家、冷泉彰彦さんがニューズウィークの連載コラムに詳しく書いている。

◾️「差別」と「素朴な民族感情」の違い

ベテランスポーツライターのフライ記者がインディ500に無関心であるはずはない。しかも決勝レース当日はメモリアルデーの前日で、彼自身もかつて日本軍と戦った亡父を墓参したまさにその日だった。父やその戦友、太平洋戦争の犠牲者に思いを馳せていたところに、佐藤優勝の情報が飛び込んできたわけだ。
“very uncomfortable”(とても不愉快)は、デンバーポスト紙の記事として書いたのなら間違いなく不適切だろう。しかし、これはそもそも個人的な呟きなのだ。個人的なバックグラウンドやメモリアルデーのタイミングを考えれば、多少感情的になっても不思議ではない。「米国の自動車産業を追い詰めた日本人が、米国最大の自動車レースの祭典で優勝した」との感情も重なったかもしれない。
もちろん、実際にはインディアナ州には日系自動車メーカー3社が進出し、雇用にも貢献しているし、佐藤は長年多くの米国人らとチームを組んでインディ500に参戦しているのではあるが、デンバーのフライ記者はその辺りの事情は知らなかった可能性もある。

日本人に照らして考えれば、モンゴル人横綱だらけの大相撲は正直愉快でない日本人は多い。19年ぶりの日本出身横綱の誕生(稀勢ノ里)にこれほど日本中が沸いたのも、その感情の裏返しだろう。
しかし、それは「モンゴル人に対する差別感情」だろうか。殆どの日本人はモンゴル人に何の反感もないし、むしろ似た顔、比較的近い言語、中国人嫌いで親日国、国技が相撲という共通の伝統文化…といったモンゴル人の国民性に親近感を覚える日本人は少なくない。殊にモンゴル人力士たちに対しては、言葉も文化も違う日本に10代で単身渡り、日本人の若者でさえ敬遠する封建的な相撲部屋に入門、なおかつ角界の頂点に登り詰め、日本の伝統文化を担ってくれている若者たちに対し、感謝と尊敬の念を持って拍手を送る日本人も多い。しかし、これとそれとは違うのだ。「ナショナリズム」とも違う。「素朴な民族感情」とでもしか言いようのないものだ。

◾️「終戦記念日の奉納相撲」で米国人力士が優勝したら?

今は世界ランキング1位のマレーがいるのでそんな議論は誰もしなくなったが、英国人テニスプレーヤーが全英オープン(ウィンブルドン大会)で全く勝ち上がれなかった頃にも、同様の国民感情が英国で燻っていた。門戸開放によって国内勢が淘汰される「ウィンブルドン現象」なる言葉まで出来たほどだ。これは、どの民族、国民にもある否定し難い素朴な感情だろう。
仮に日本の終戦記念日の伝統行事として奉納大相撲が靖国神社であったとしよう。もしそこでちょんまげ姿の米国人力士が優勝したら、どうだろうか。「不愉快」どころの騒ぎではなくなるはずだ。これは「反米感情」や「人種差別」とは次元が違う問題だ。フライ記者のやや感情的な反応もそれと大差はないだろう。少なくとも悪意に満ちた確信的な反日感情の吐露という感じは全くしない。

◾️行き過ぎたポリティカル・コレクトネス

もし佐藤選手が米国生まれの日系アメリカ人で、フライ記者が同じツイートを発信していたなら、米国内での問題はもっと複雑になっていたかもしれない。文化や国家の違いよりも「人種差別」の趣きが強まるからだ。しかし、実際には佐藤は日本生まれの日本人である。「人種」的嫌悪ではなく、第二次世界大戦の記憶という文化的歴史的な背景を伴った拭いきれない本音、と解するべきだ。それを「人種差別」と断じて袋叩きにするのは、明らかにポリティカル・コレクトネスの行き過ぎだと思う。むしろ米国内の人種問題に対する過剰反応を恐れ、即刻解雇したデンバー・ポストの経営陣に、計算高さや非情さを感じてしまう。フライ記者は表現の不適切さを認めて佐藤選手に謝罪し、反省を示している。何も解雇までしなくても、と同情を禁じ得ない。

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