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英連邦の終わりの始まり?

Posted by fukutyonzoku on 10.2022 国際 0 comments 0 trackback


 英国のエリザベス女王が崩御された。かつての英国植民地56カ国で構成する英連邦(Commonwealth of Nations)を結びつけていた精神的支柱だったが、既に加盟国の中には連邦から離脱する動きが出ており、後継のチャールズ国王には女王ほどの求心力はないため、加盟国の離脱が加速するとの観測が強い。英連邦の「終わりの始まり」かもしれない。

◾️世界人口の3分の1を占める英連邦の精神的支柱

 英連邦は世界の国土面積の21%、世界総人口の3分の1近くに相当する26億人余りを占め、国連に次ぐ規模を誇る政府間組織。「経済同盟」という建前になっているが、実は加盟国間相互の具体的な法的義務は何もなく、民主主義・人権・法の支配といった共通の価値観(コモンウェルス憲章)を共有し、歴史的、文化的、精神的に繋がる任意団体に過ぎない。4年に一度、五輪と同じようなコモンウェルスゲームズ(英連邦競技大会)が開かれている。
 ちなみに英連邦のうち、かつての英国自治領で今でも英国国王を自国の国王(国家元首)に戴くのが英連邦王国(Commonwealth realm=コモンウェルス・レルム)。これはカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、ソロモン諸島など15カ国ある。それぞれが主権国家のため、英国国王は各国の国王を兼務する形をとっている。その他の英連邦加盟国は君主を持たない共和制(33カ国)や独自の君主(5カ国)を戴いている。
 英連邦はかつての英国による植民地支配や搾取、人種差別の和解の場ともなっているが、この精神的な結びつきを繋いでいたのがエリザベス女王個人の人柄だという評価が高い。加盟各国に自ら出向き、アフリカの黒人国家などの元首や首相らとも対等に接し、ユーモアや積極的な慈善活動でかつての植民地の政治リーダー層や国民をも魅了していったのだ。ただ、エリザベス女王は植民地時代の英国による圧政や人権抑圧、人種差別、搾取や略奪について一度も謝罪しなかった。

◾️世界を支配した大英帝国のプライドの受け皿

 そもそも欧州の王室や日本の皇室は何のためにあるのだろうか。国家の権威と国民統合の象徴とされているが、ややシニカルな見方をすれば、英王室はかつて世界を支配して強大な権勢を誇った大英帝国の残滓であり、七つの海を支配した国であるという国民のプライドやノスタルジーの精神的な受け皿であろう。日本の皇室も世界最古の歴史と伝統(神話や「万系一世」のフィクションを含むが)の象徴としてだけでなく、アジア初の立憲君主制樹立、アジアを広く支配したという日帝時代の権勢に対する国民的プライドの拠り所という意味合いもあろう。
 それら国民のカタルシスを担わされる「国家装置」である王室や皇室は、巨大な資産を国家から保障される反面、政治権力は剥奪され、人権も著しく制限を受ける。国民側のニーズはあっても存続への内部的モチベーションは各国とも劣化が著しく、果たして内部崩壊せずに今後も存続できるのか、という疑念の方が大きくなっているように感じる。
 植民地支配された側にも当然、複雑な思いがあるはずで、英連邦からの離脱を主張する政治勢力や国民はどの国にも常に一定程度存在する。南アフリカのアパルトヘイトはそもそも英国の植民地時代の黒人差別が原因だし、イスラエルとパレスチナの紛争も、その原因を作ったのは英国の二股外交だ。英王室が保有する王冠に飾られた南アフリカ製の世界最大のダイヤモンドやインド製の世界最古のダイヤモンドの返還を求める意見も両国ではある。英連邦加盟国が全てわだかまりなく英国や英王室を支持しているわけではない。単にこれまでの加盟国政権が、英連邦にとどまる方が経済や安全保障の上で得策だと判断してきただけであろう。
 ただ、英国の相対的な力が衰えつつある今、そうしたメリットが薄れてきているのも事実である。70年も英連邦トップの地位にあったエリザベス女王という求人力を失えば、それを機に連邦離脱の動きが強まる可能性は十分にあると言えよう。
https://www.jiji.com/amp/article?k=2022060300791&g=int
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/イギリス連邦
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ジョン・レノン銃殺から40年 今も変わらぬ銃社会アメリカ

Posted by fukutyonzoku on 26.2020 国際 0 comments 0 trackback


 最近ジョン・レノン特集が多いなあ、と思ったら、生誕80年、没後40年なのだそうだ。そうか、あれからもう40年も経つのか。こっちも年を取るわけだ。
 1980年12月8日(日本時間9日)。私は当時、高校生で、確か期末試験の勉強中だった。自室の深夜ラジオで第一報を聞き、しばらくは何も手がつかないほどショックを受けた。会ったこともない人が死んであんなにショックを受けたことは後にも先にもあの時だけだったかもしれない。それからしばらくはラジオで彼の追悼特集を探して聴き、発売されたばかりのアルバム「ダブル・ファンタジー」やイマジンなどジョンの曲ばかり聴いていた。ビートルズ時代の曲はそれまでにも聴いていたが、ソロになってからの彼の曲がより好きになったのは、あれがきっかけだったかも。彼の悲劇とも相まって、愛と平和というジョン&ヨーコの世界観と、優しくシンプルで心地よいメロディーに惹かれていったのだと思う。

◾️ニクソン政権にマークされていたジョン

 ベトナム戦争を批判したジョンとヨーコの「ベッド・イン」などの反戦活動は右派から「売名行為」「金儲け」だと攻撃され(ジョンは既に十分有名人だったし、「金儲けしたいなら曲を書く」と反論していた。ごもっともw)、ニクソン大統領もあからさまに彼を批判した。彼はCIAから「危険人物」としてマークされ、FBIに尾行されたこともある。彼の「暗殺」は背後に政権の陰がある、と信じる人は今も少なくない。
 でも、彼は政治家でも官僚でもない。もし進んで軍歌を作り、歌い、戦争を煽るアーティストがいれば、そっちの方がよほど変だろう。音楽や芸術文化は、平和と自由というベースの上にしか成立しないものだからだ。
 大学生になってニューヨーク遊学中には、セントラル・パーク脇のダコタ・ハウスの前を通るたびに、かつてジョンが住んでいた辺りを見上げ、彼(の幽霊?)がバルコニーや窓からひょっこり現れないか、と妄想した。大人になってからも軽井沢や箱根などでジョン&ヨーコの足跡を追ったこともある。
 ジョンの死後、ヨーコはジョンが亡くなった時にかけていた血まみれの眼鏡を窓辺に置き、背景に摩天楼が写りこむ写真を撮影。ジョンの命日や結婚記念日などにSNSなどで公開し、銃規制を訴え続けている。

◾️毎日100人以上が銃で命を落とす米国

 米国には人口に近い約3億丁もの銃が民間所有され、世界で民間人が所有する銃の約半分が世界人口の5%に満たない米国人によって所持されているという。3億丁ということは、ほぼ米国民1人に1丁の計算になるが、実際には一人で何丁、何十丁も持っているコレクターも少なくなく、銃所有世帯比率は約4割と言われている。
 銃規制に反対する米国人に問いたい。あなた方はウォルマートでも銃が買え、子供にも銃をプレゼントするような社会を作ってしまった。しかし、銃によって自分や家族や友人たちの命を国家権力や気の狂った犯罪者から守ったことがあるのか、守れると思うのか、と。米国での銃による死者数は増え続けており、最近は年4万人近くが命を落としている。毎日100人以上の計算だ。米国は世界でも交通事故死者数が断トツに多い国だが、それでも年約3.7万人。年によっては銃による死者はそれを上回っている。銃保有率が高い州では警官が死亡する確率が約3倍に上がり、銃が多い州ほど銃による殺人や自殺が多いことは統計的に明らかなのだ。民間人の銃所有は犯罪の抑止力にはならず、真逆の結果となっている。
 200年以上前に制定された合衆国憲法の武装権を盾に、個人の銃所持の権利を譲ろうとしない一部の米国人の銃への固執は異常という他はない。かつての侍にとっての刀のようなものか。もはや理屈を超えたある種の信仰なのだろうが、やはり変えるべきだ。

◾️7割の米国民が銃規制強化に賛成

 不思議なことに世論調査では大抵は過半数、多い時には7割もの米国民が銃規制強化に賛成だ。多くの米国人自身が変えたいと思っている。
 最近では2018年2月に起きた米フロリダ州パークランドの高校で起きた銃乱射事件直後にCNNが行った世論調査でも70%が銃規制強化に賛成し、52%が「強く支持している」と回答。反対は27%だった。銃保有世帯でも57%が賛成。党派別では民主党支持者が93%、無党派が64%、共和党支持者でも49%が賛成した。
 では、なぜ実際に銃規制が進まないのか。悪名高い全米ライフル協会(NRA)のロビー活動が強力だからだというのが定説だが、米国社会の分断工作としてロシアの情報機関から秘密裏に多額の資金がNRAに流入しているとの噂もある。NRAは共和党議員の銃規制反対派を中心に年数百万㌦規模かそれ以上の献金を毎年せっせと垂れ流しているという。しかし、共和党支持者の中にも銃規制賛成派は増えている。それでも変わらないとすれば、米国の病理だろう。
https://rockinon.com/news/detail/79904.amp
https://tower.jp/article/campaign/2020/12/08/01
https://www.cnn.co.jp/amp/article/35115366.html
https://www.newsweekjapan.jp/amp/glenn/2019/09/3.php?page=1

インディ500「日本人の優勝は不愉快」米記者ツイートは人種差別ではない

Posted by fukutyonzoku on 02.2017 国際 0 comments 0 trackback


 世界3大自動車レースの一つ、米「インディ500」で佐藤琢磨選手が日本人として初めて優勝した。この快挙に対し、コロラド州の『デンバー・ポスト』紙のベテランスポーツライター、テリー・フライ記者が「日本人の優勝はとても不愉快だ」とツイートし、「人種差別だ」と批判が殺到。同紙は即刻フライ記者を解雇し、謝罪した。日本のネット空間でも「人種差別」批判が沸騰。同時に、デンバーポスト紙による即座の謝罪とフライ記者解雇という素早い対応に対し、「英断だ」と評価する声が上がっている。
 しかし、筆者はフライ記者のツイートが日本人差別とは全く思わない。

◾️当日は沖縄戦に従軍した亡父を墓参

 フライ記者のツイートは、次の内容だった(既に削除済み)。

Nothing specifically personal, but I am very uncomfortable with a Japanese driver winning the Indianapolis 500 during Memorial Day weekend.



 (特に個人的な関係はないが、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の週末に日本人ドライバーがインディ500で優勝したことは、とても不愉快だ)=筆者訳

 日本語のブログ記事の中には、フライ記者が「『ジャップがインディ500で優勝しやがった!』と罵倒した」などと悪意に満ちた歪曲をしている者もいるが、原文を読めば分かる通り、フライ記者は“Jap”という差別表現は使っておらず、「罵倒」というニュアンスとも明らかに違う。
同記者は短文の中に敢えて「メモリアルデーの週末に…」とメモリアルデーに言及している。インディ500は米国人なら誰もが知る米国最大級のスポーツイベント。「メモリアルデーの週末」に決勝が行われることは毎年恒例でもあるので、単にインディ500を説明するための修飾語や説明としてなら不要だ。
 つまり、彼は単にインディ500に日本人が勝ったことが不愉快だというより、「戦死者を悼むメモリアルデーに連なる米国の特別なレースに日本人が勝ったこと」が不愉快だ、とのニュアンスを伝えたかったなのだと分かる。

 彼は、騒動後に投稿した佐藤選手らに対する謝罪文の中で、決勝レース当日の日曜日(5月28日)に、米空軍パイロットだった亡父を地元デンバーのフォート・ローガン国立墓地に見舞い、エモーショナルになっていたと弁明している。彼の父は沖縄戦にも従軍し、戦友を亡くしているとも。第二次世界大戦で戦死したアスリートの物語を取材をしたこともあるという。

◾️メモリアルデーとインディ500

 米国のメモリアルデー(5月最終月曜日)は元々、南北戦争で亡くなった北米兵士を讃える催しだったが、時代を追って次第に対象が拡大。今では米国の全戦没兵を讃える行事になっている。メモリアルデーに合わせ、戦争に限らず亡くなった家族を悼んだり、過去1年間に亡くなった信者を悼む特別なミサを開くキリスト教会もあるという。
 また、親族が年に1度集まったり、家族でピクニックを楽しむ連休ともなっている。つまり、このメモリアルデーの3連休は、日本の「お盆休み」とよく似ているのだ。親族が集まり、先祖代々の墓を参り、終戦記念日(8月15日)とも重なっているため、戦没者を慰霊する。日本の場合は、この連休中の最大のスポーツイベントは夏の甲子園だろう。甲子園でも高校球児は15日の正午には戦没者に黙祷を捧げる。日本人にとって夏の甲子園大会と戦争の記憶は、切っても切り離せない関係だ。だからこそ民族的なスポーツイベントなのだ。

 米国のメモリアルデーでは、前日の日曜日に決勝レースが行われるビックイベントがインディ500である。
 五大湖の南に位置するインディアナ州の州都・インディアナポリスのモーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル(約4km)を200周、走行距離500マイル(804km)の先着を競う「世界最速の周回レース」(最高速度380km)。3億円近い優勝賞金を含め賞金総額15億円以上。練習や予選、関連イベントを含めれば毎年2週間~1カ月間も開催されているが、決勝には約40万人もの観客を集める。NFLのスーパーボールやMLBのワールドシリーズにも匹敵する米最大級のスポーツイベントだ。地上波テレビで全米生中継されている。
 第1回開催は、大衆車の先駆け「T型フォード」が大量生産を開始した3年後の1911年で、今年で101回目。世界3大自動車レースと言われるル・マン24時間レース(1923年~)、F1モナコGP(29年~)の中でも最も伝統がある。当時の日本は大正時代。実験的な「国産車モドキ」を除けば、本格的な国産化はまだ遠い夢という時代だ。
モータースポーツの「本家」は米国であり、特にトランプ支持層とも重なる中西部の白人保守層にとって、インディ500がいかに特別なレースであるかは、米在住の日本人作家、冷泉彰彦さんがニューズウィークの連載コラムに詳しく書いている。

◾️「差別」と「素朴な民族感情」の違い

 ベテランスポーツライターのフライ記者がインディ500に無関心であるはずはない。しかも決勝レース当日はメモリアルデーの前日で、彼自身もかつて日本軍と戦った亡父を墓参したまさにその日だった。父やその戦友、太平洋戦争の犠牲者に思いを馳せていたところに、佐藤優勝の情報が飛び込んできたわけだ。
 “very uncomfortable”(とても不愉快)は、デンバーポスト紙の記事として書いたのなら間違いなく不適切だろう。しかし、これはそもそも個人的な呟きなのだ。個人的なバックグラウンドやメモリアルデーのタイミングを考えれば、多少感情的になっても不思議ではない。「米国の自動車産業を追い詰めた日本人が、米国最大の自動車レースの祭典で優勝した」との感情も重なったかもしれない。
 もちろん、実際にはインディアナ州には日系自動車メーカー3社が進出し、雇用にも貢献しているし、佐藤は長年多くの米国人らとチームを組んでインディ500に参戦しているのではあるが、デンバーのフライ記者はその辺りの事情は知らなかった可能性もある。

 日本人に照らして考えれば、モンゴル人横綱だらけの大相撲は正直愉快でない日本人は多い。19年ぶりの日本出身横綱の誕生(稀勢ノ里)にこれほど日本中が沸いたのも、その感情の裏返しだろう。
 しかし、それは「モンゴル人に対する差別感情」だろうか。殆どの日本人はモンゴル人には何の反感もないし、むしろ似た顔、比較的近い言語、中国人嫌いで親日国、国技が相撲という共通の伝統文化…といったモンゴル人の国民性に親近感を覚える日本人は少なくない。蒙古襲来(元寇)の歴史があるとは言っても、700年以上も前の鎌倉時代のことで、怨恨感情を引き摺っている日本人はいないだろう。ことモンゴル人力士たちに対しては、言葉も文化も違う日本に10代で単身渡り、日本人の若者でさえ敬遠する封建的な相撲部屋に入門、なおかつ角界の頂点に登り詰め、日本の伝統文化を担ってくれている若者たちに対し、感謝と尊敬の念を持って拍手を送る日本人も多い。
 しかし、これとそれとは違うのだ。「ナショナリズム」とも違う。「素朴な民族感情」としか言いようのないものだ。

◾️「終戦記念日の奉納相撲」で米国人力士が優勝したら?

 今は世界ランキング1位のマレーがいるのでそんな議論は誰もしなくなったが、英国人テニスプレーヤーが全英オープン(ウィンブルドン大会)で全く勝ち上がれなかった頃にも、同様の国民感情が英国で燻っていた。門戸開放によって国内勢が淘汰される「ウィンブルドン現象」なる言葉までできたほどだ。これは、どの民族、国民にもある否定し難い素朴な感情だろう。
 仮に日本の終戦記念日の伝統行事として奉納大相撲が靖国神社であったとしよう。もしそこでちょんまげ姿の米国人力士が優勝したら、どうだろうか。「不愉快」どころの騒ぎではなくなるはずだ。これは「反米感情」や「人種差別」とは次元が違う問題だ。フライ記者のやや感情的な反応もそれと大差はないだろう。少なくとも悪意に満ちた確信的な反日感情の吐露という感じは全くしない。

◾️行き過ぎたポリティカル・コレクトネス

 もし佐藤選手が米国生まれの日系アメリカ人で、フライ記者が同じツイートを発信していたなら、米国内での問題はもっと複雑になっていたかもしれない。文化や国家の違いよりも「人種差別」の趣きが強まるからだ。しかし、実際には佐藤は日本生まれの日本人である。「人種」的嫌悪ではなく、第二次世界大戦の記憶という文化的歴史的な背景を伴った拭いきれない本音、と解するべきだ。それを「人種差別」と断じて袋叩きにするのは、明らかにポリティカル・コレクトネスの行き過ぎだと思う。むしろ米国内の人種問題に対する過剰反応を恐れ、即刻解雇したデンバー・ポストの経営陣に、保身の匂いや計算高さ、非情さを感じてしまう。フライ記者は表現の不適切さを認めて佐藤選手に謝罪し、反省を示している。何も解雇までしなくても、と同情を禁じ得ない。