和歌山の漁港で起きた岸田文雄首相に対するテロ未遂事件を受けて、17日のテレ朝「羽鳥慎一モーニングショー」ではレギュラーコメンテーターの石原良純氏がこう語っていた。
「岸田総理が『民主主義の根幹を揺るがす事件だ』と、選挙というのが大事なものだと政治家は真摯に捉えていると思うんです。僕は政治家の家で育ってますから、結構目の当たりにしてます」
「やっぱり、人と人との出会いとか、人が何かする機会とか、その人の信条を知るっていう場であるんですよ」
「はたから見て、シニカルに見れば『くだらない、何騒いでんだ』って思う方もいるかもしれないけど、それをやらなかったら民主主義は成り立たないと思います」
なお、石原氏は作家で元衆議院議員、東京都知事も務めた故・石原慎太郎の次男で、慶應大経済学科卒のタレント・俳優、気象予報士。ちなみに兄は元衆院議員で経済再生担当相や自民党幹事長も務めた伸晃氏、弟は岸田派の現職衆院議員である宏高氏という政治一家だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/71c85644b68e098216aa55e840e0dccaccbb09a6 また、テレ朝の政治部官邸キャップ、千々岩森生記者も「中国(特派員)から帰国した際、日本の選挙では政治家と国民の距離感が近くていいなと思いました。習近平が群衆の前に姿を現すことは絶対にないですから。日本の距離感の近さは民主主義だからこそ」と語った。
さてさて。両氏とも「有権者と距離感の近い日本の選挙」を「民主主義の根幹」であるという理解の下、基本的に現在の日本の選挙風土を肯定していたが、本当にそうだろうか。一方的な演説を街頭で飛び込み的にやることや、選挙カーで名前を連呼したり有権者と握手をしたり身近に接することが、本当に「民主主義の根幹」なのだろうか?
特に保守政治家の間には、田中角栄の伝説に由来すると思われる「どぶ板選挙」への信仰がいまだに根強い。田中角栄は地元有権者との触れ合いを非常に大切にした。選挙の際はとにかく地元を隈なく回り、革靴を抜いで長靴に履き替え、田んぼの中に入っていって握手を求めるというパフォーマンスまでやって、農家を感激させたという。実際、今でも選挙カーで回った地域と回らなかった地域でその候補者への得票率に差が出るという調査データもあるそうだ。そのことが「とにかく選挙区を隈なく回り、辻立ちと握手を数多くこなせ」という「どぶ板選挙」が今でも当選のための金科玉条となっている。日本の選挙候補者が白い手袋をするのは、数多く握手することが選挙文化となっていることの象徴でもある。
しかし、よく考えてみてほしい。このことは本当に「日本の民主主義」の素晴らしさだろうか? 翌18日の同番組で、元フジテレビアナウンサーで弁護士の菊間千乃さんは「でも、握手って本当に民主主義にとって大事なこと?」といいことを言っていた。「私なら突然握手を求められたら気持ち悪くて逃げるかもしれない」と。
選挙演説や地方遊説がその政治家の政治信条や人柄を知る数少ない機会だった時代ならまだわかるが、今はそうではない。選挙公報や新聞、テレビだけでなく、今ではYouTubeやSNSでも政治家や候補者は政治信条や人柄、政策を自由に発信できる。ましてや国の政治リーダーなら、メディアだけでも目にしない日はないほど露出度は高い。欧米のようにメディアやNPOが候補者同士の討論会を慣例化すれば、一方的な情報発信より候補者の人柄やディベート力、政策の練度や矛盾点まで浮き彫りになるはずだが、日本ではなぜかその機会は少ない。そういった政治の議論が身近にないことは、有権者の政治に対する距離感の遠さや、政策に対する理解不足を助長しているのではないかとも思う。
実際に選挙カーで回った地域は得票率が上がるという調査データがあるのなら、候補者にとってはそうした選挙をやるのは当選するための合理的な行動とも言える。だから、選挙に負けられない現職首相が国政運営とは無関係な地方の補選にまで自民党総裁として出掛け、そこで採れた刺身を「うまい、うまい」と言って食べ、地元民を喜ばせようとするわけだ。
そんな魂胆の見え透いた選挙パフォーマンスや、直接話を聞いたり握手をしたことがあるというだけで親近感を持ってしまい、その党の候補者に投票してしまう有権者側にも責任がある。特に国会議員は大半の有権者にとって普段はそれほど遠い存在なのかもしれない。だとすれば、そのことは千々岩記者が言うような、この国の政治家と国民の「距離の近さ」を象徴するものというより、むしろ距離の遠さや民主主義の未熟さを象徴しているとしか私には思えない。
「どぶ板選挙」を体現し、最終学歴は尋常小学校卒で総理総裁まで上り詰め、「今太閤」と言われた田中角栄的な政治は、日本の政治に何をもたらしたのか。演説や政治パフォーマンスのうまさ、「人たらし」と言われた交渉力や親分肌の面倒見の良さといった人柄や人心掌握術は、角栄の政治力の源泉だろう。しかし、結局は「新潟県に入ると途端に道路がよくなる」とよく言われたように選挙区への利益誘導で選挙地盤を固め、地元や財界との癒着によって集めた集金力を使って政界にも金をばら撒き、他派閥の議員まで買収して支持を取り付ける「金権政治」によってトップに上り詰めた。「田中派の財布」とも言われた道路特定財源という財源を捻り出し、「日本列島改造論」によって日本を土建国家と化し、結局はロッキード事件という日米を跨ぐ贈収賄疑獄によって失脚した。過剰な土木インフラの多くは、今やメンテナンス費用の嵩む国家的な不良債権と化している。
これが田中角栄という希代の政治家が実際に政治リーダーとなって実行したことであり、結局彼の選挙テクニックや人柄、人心掌握術は政治家としての強力な武器ではあっても、その政治力を使って何をやったかという最も大事な政策の良し悪しとは無関係だ。むしろ、こうした日本的な「土着選挙」のあり方は、有権者の目を曇らせ、利益誘導政治や無駄に金のかかる選挙の土壌になっている。
そんな選挙風景を変えようとしない政治も政治だが、政策ではなく身近さや人柄、見た目や印象の良さといった人気投票で投票したり、あるいは「人気政治家や世襲候補などの勝ち馬に乗って利益を得よう」といった利益誘導の下心で応援したり投票したりする有権者もまた有権者だ。つまり、国会議員という国づくりの設計をする国民の代表者をつまらない低次元の情動や私欲で選んでしまっている。これでは政治がよくなるはずもない。政治のみならず、その成れの果てがアジア的クローニー・キャピタリズム(縁故資本主義)だろう。ダメな企業ほど政治と癒着し、ゾンビ企業が溢れかえる。まさに今の日本経済の姿だ。
これらは「日本の民主主義の良さ」ではなく、政治文化の後進性や民主主義の未熟さの表れでしかない。選挙制度や選挙慣習と同時に政治家と有権者双方の意識改革をしないと、この国の政治の劣化、政策の劣後は止まらないと感じる。
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なぜ最近の大企業は人材をコストとしか捉えなくなったのか。それは国内市場に安住している限り、厳しい市場競争に晒されずに済むようになってしまったからではないかな。特に労働市場で。
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労働移動を抑制する政財界の「談合」 賃金の後払い制度(年功序列賃金や退職金、年金)やプロパー(生え抜き)でないと出世しにくいなどという企業文化によって企業間の労働移動を相互に制限する「談合」を長年行い、人材の引き抜き競争が起こらないようにした。
さらには中曽根政権あたりから政財界が結託して野党の支持基盤でもある労組の弱体化を進め、小泉政権が安上がりの非正規雇用を解禁。労組もバブル崩壊以降、(正社員組合員の)雇用維持を優先し、賃上げ要求をしなくなった。労働移動が極めて少ないので人材獲得競争が起こらず、労組の突き上げもないから賃金も上がらない。その結果、物価も上がらないから労組はますます賃上げ要求をしにくくなり、賃金も物価も上がらない悪循環に陥ってしまった。これが長期デフレの原因でもある。
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日本企業の人材投資は低水準かつ減少傾向 なお、日本企業が元々OJT以外は低水準だった人材投資をますます減らしており、日本人の職場のモチベーションやloyalty(忠誠心)が今や世界最低水準であることは、国際比較データ上も明らかだ。
https://forbesjapan.com/articles/detail/49486?read_more=1

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企業と従業員との不幸な関係 先日もNHK「クロ現」で紹介されていた内容を基に書いたが、公務員やサラリーマンによる顧客情報リストの名簿業者への流出が絶えず、犯罪グループに利用されている実態も、従業員の会社に対するloyalty低下の表れの一つではないかと思う。日本企業は自社への不信感の高い従業員だらけなのに、現実として転職が難しく不利になることが社員も分かっているので、不満の多い職場にしがみつく。
こうした企業と会社員との不幸な関係は、生産性低下と実質賃金低下の悪循環を引き起こしてしまっている。相互不信が渦巻き、空気が淀んだ企業で斬新なアイデアが生まれるはずもなく、日本企業も日本経済も成長するわけがないではないか。
経産省出身の荒井勝喜首相秘書官が昨夜のオフレコ記者懇談で、同性婚についての見解を問われ、
「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ。人権や価値観は尊重するが、認めたら国を捨てる人が出てくる」などと発言したことが発覚し、更迭された。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230204/k10013970711000.html 荒井秘書官は同省商務情報政策局長を経て2021年10月の岸田内閣発足と同時に事務担当秘書官として官邸入りした1991年入省の55歳。首相秘書官には政治機密を扱う政務担当秘書官のほか、基本は財務、外務、経産、防衛、警察の5省庁から派遣された官僚が事務担当秘書官に就任する。かつては各省庁の課長級のエース格が派遣されていたが、荒井秘書官は局長級。安倍内閣あたりから年次が全体に上がっているようだ。
政務担当秘書官は大抵は首相となった政治家に長く仕えるベテラン秘書が就くことが多く、事務秘書官らをまとめる主席秘書官となる。首相によっては主要省大臣時代の秘書官(官僚)や信頼する新聞記者を抜擢したり、2人の政務担当秘書官を置く場合もある。岸田首相は、開成高校の同窓でもある旧知の嶋田隆・元経産事務次官(62)と、岸田事務所の公設秘書だった長男の翔太郎氏の2人を任命している。嶋田氏のような元経産事務次官という重量級が首相秘書官に就くのは異例だ。自民党随一の経済政策通だった故与謝野馨が通産相で入閣した際、大臣秘書官を務めたのが嶋田氏。以来、与謝野氏が財務、経済財政担当相、官房長官などを歴任した際にその都度、府省の垣根を越えて秘書官に指名されるほど与謝野氏からの信頼が厚い官僚が嶋田氏だった。
事務担当秘書官も内閣によっては基本の5省庁に加えて総務省や厚生労働省などの官僚が加わることもあるが、岸田首相の事務秘書官は5省庁だけ。ただし、菅義偉前内閣時代からの財務省2人体制を継続して計6人、政務の2人を加えて8人体制となっている(実は8人中、経産省と財務省は各2人とバランスを取っている)。岸田首相から直々に主席秘書官に任命された嶋田氏が、古巣の経産省から一本釣りしたのが荒井氏だったようだ。
朝日新聞の配信記事によれば、荒井氏は「東大卒が多い霞が関のキャリア官僚の中では異色の経歴だ。横浜市の公立高校を卒業後いったん大手自動車会社の工場で働くつもりでいたが、その後、早大に進学。1991年に旧通産省に入省した。一時は長髪を茶色に染めていたこともあった」という。「入省同期の官僚の一人は『普通の官僚は危ない橋を渡らない。あれだけリスクをとって仕事をするのは彼だけだ』と買う。その半面、言動がやや軽い面もあった」とも。リスクを恐れぬ豪胆な行動力と歯に衣着せぬ発言が彼の持ち味だったようだ。評価が割れることも多いが、上司と運に恵まれれば出世するタイプだろう。「私学出身初の事務次官候補」の呼び声も高かったようだ。
また、朝日はこうも。「経産省には、特定業界や個別企業の育成や支援を重視する『介入派』と、公平な制度を設けてあとは市場にゆだねる『制度派』という二つの政策思想の対立があったが、荒井氏は『欧米はどこも介入政策をやっている。日本はお人好し過ぎる』と言い、明確な介入派だった」とか。
かつて城山三郎が描いた「官僚たちの夏」で旧通産省内は民族派(統制派)と国際派の対立として描かれたが、記事が正しければ、いまは民族派が介入派、国際派が制度派という言い方にそれぞれ変わっているらしい。要は保護貿易重視か、自由貿易重視か、の違いだ。「官僚たちの夏」で描かれた1960年代、通産省は外資自由化に備えて日本の産業の再編成を図ろうとし、民族派は「特振法」(特定産業振興臨時措置法)を準備した。しかし、その当時の日本の産業界は、これを「経済的自由を侵害する統制」であるとして退けた。外資による買収を防ぐより、政府に介入されないことのほうが重要と考えたのだ。当時の産業界にはまだ骨があった。それがその後の日本経済躍進の礎となったとの見方もできる。
朝日によれば、荒井氏は「シャープの経営危機の際には、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業による買収案に対して官製ファンドの産業革新機構(現INCJ)を通じた再建をめざした。東芝の経営再建をめぐり『もの言う株主』のアクティビストファンドを排除しようと水面下で動いたこともあった」とか。経産省「介入派」が主導する業界再編は、エルピーダメモリやルネサスエレクトロニクス、ジャパンディスプレイ、東芝……と半導体も液晶も死屍累々で、残念ながらうまくいった試しはない。やはり、政府の過剰介入による産業保護政策は、日本企業の足腰を弱めてきただけではないかと思う。
また、荒井氏は官邸で首相秘書官として広報やメディア対応を担当し、岸田首相の演説などのスピーチライターも担っていたという。その割には、記者の前で話すことに本当は「オフレコ」などなく、必ずどこかに漏れ出るものだということを知らなかったのだろうか。しかも、言ってることが本音だとすれば、霞が関や永田町のような狭い世界に長くいると視野や価値観が偏狭になっていくという典型例のようにも思える。もし自分の子供がLGBTQでも(誰でもそういう立場になる可能性はある)、同じことがその子供の前で言えるのかと言いたくなる。何より、同性婚を認めるより認めない方が国を捨てる人は増えるのではないだろうか。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASR245FLDR24TLZU001.html

NHK「クローズアップ現代」で、日本の若者たちが日本での低賃金・長時間労働の仕事に見切りをつけて、豪州などの介護や農業現場への「出稼ぎ」に行くケースが増えているーーという衝撃的な実態をリポートしていた。アルバイトの「出稼ぎ」とはいえ、豪州の農業現場では1日6時間の収穫作業で月収約50万円、介護職では同約80万円も稼げるというというから、給与水準は日本のおよそ3倍だ。この給与格差が変わらなければ、日本の若者の海外脱出は止まらなくなるかもしれない。
反対に、日本の介護や農業現場で働くベトナム人など外国人技能実習生からは急速な円安による賃金目減りが敬遠され、人が集まらなくなっている。介護・農業現場だけでなくITエンジニアなども外資系から人材が引き抜かれるケースが増え、日本企業は給与の引き上げに動かざるを得なくなっている。
ただ、これらは起こるべくして起こっている現象だ。日本だけ30年間も賃金がほとんど伸びず、最近の急速な円安も加わって給与水準はもはや主要国の中では低賃金の国になっているからだ。日本がグローバルな人材獲得競争に晒されることは、長い目で見れば人材のグローバル化を促進し、賃金水準の引き上げにも繋がるため、必ずしも悪いことではない。しかし、高度人材だけでなく普通の若者たちが日本の正社員職や資格職を捨てて海外での出稼ぎアルバイトを選ぶまでになっている。この現実を突きつけられると「ついに日本もここまで落ちたか」と愕然としてしまう。このままでは日本は若者から見捨てられ、日本の経済社会を支える人材がいなくなってしまう。事態は深刻だ。
かつてほどの円高にはもう戻らないとすれば、日本のあらゆる職業現場は人件費コストを思い切って引き上げるか、さもなくば徹底的な省力化投資ができなければ、生き残れないだろう。これだけ生活物価が上がっているのに、世界中で頻発している賃金ストはなぜか日本では起こらない。日本には労働者の権利を守る真の労組は存在せず、日本企業間では労働移動も起こらない。日本経済の最大の問題は、硬直的な労働市場によって賃金と物価の上昇メカニズムが壊れてしまったことにあるとすれば、こうした外資や海外の人材獲得競争という「外圧」はむしろ歓迎すべきことなのかもしれない。
【番組内容抜粋】
・寿司職人を養成する日本の専門学校では生徒の8割が海外を目指す。寿司レストランは今やグローバルに人気があり、寿司職人は世界中で求人がある。しかも国内より賃金は圧倒的に高い。

・豪州の地方都市、コフスハーバーでは20~30代の日本人男女20人ほどがシェアハウスで共同生活している。日本での以前の仕事は小学校教諭、会社員、不動産業、介護士、理学療法士、児童指導員、自衛官、美容師などさまざま。仕事はブルーベリー農園での果実収穫なので、英語はできなくてもよい。歩合制のアルバイトだが、4年も滞在している日本人もおり、1日6時間程度働けば平均月50万円を稼ぐことができ、共同生活で家賃や食費を抑えているので、月20万円以上貯金できるという。




・シドニーの高齢者施設で介護の仕事をする藤田秀美さん(27)は日本の病院の脳神経外科の元看護士。日本の介護職の平均月収は約25万円だが、藤田さんは日本での正看護士の資格と経験を買われ、今の給与は週給で20万円前後。他にもアルバイトを掛け持ちして月収は約90万円。毎月50万円を貯金しているという。ここでは藤田さんを含め約30人の日本人が介護職のアルバイト契約で働いているという。
藤田さんは「最初に給与が振り込まれた時は『えっ、本当? こんなに貰えるの?』と少しびっくりした」と笑う。日本で看護士をやっていた頃は残業が当たり前で、将来のことを考える余裕もなかったが、ここでは残業はない。今は医療関係の英語を勉強中で、お金を貯めて大学院に進学し、将来は日本で訪問看護ステーションを開設する夢を描く。「日本にあのままいたら諦めていたのかなと思う」と藤田さん。



・一方、千葉県君津市の高齢者施設で介護士として働くベトナム人女性の平均月収は18万~20万円。最近の円安のため、母国の家族への仕送り額は2年前より3割ほど目減りしている。この仕送りの目減り額は、現地の家族の収入に匹敵するという。「このまま円安が続けば、日本で働き続けることを考え直す必要がある」と嘆く。



・徳島県のトマト農家は、収穫期にベトナム人技能実習生を4人採用しようとしたが、うち3人にキャンセルされ、別の3人を採用しようとしたら、また2人にキャンセルされた。仕方ないので「とにかく4人揃えてほしい」と仲介会社にオファーしたら、日本語が殆どできない人しか来なかったという。

・富士通などは外資系からの相次ぐITエンジニアの引き抜きを阻止するため、年功序列賃金を廃止し、挙手制の管理職登用制度を導入。最高年収3500万円を提示した。アステラス製薬は部長級以上は全世界共通の給与制度に。「UNIQLO」のファーストリテーリングは国内社員の年収を最大4割アップなど、IT企業やグローバル企業では日本国内の給与引き上げに動いている。

昨年夏の原真人・朝日新聞編集委員の記事。見逃していましたが、白川方明・前日銀総裁が英国貴族院の公聴会に参考人としてオンライン出席し、質疑応答に答えた内容を伝える記事。
https://webronza.asahi.com/business/articles/2021070800005.html?page=1 白川前総裁の言う通りで、全く正しいと思う。
異常な金融緩和と財政ファイナンスを10年も続けても「インフレ率2%、名目成長率3%」の目標を達成できず、アベノミクスの失敗が白日の下に晒された今、アベノミスクへの服従を拒絶して任期満了前に辞任した日銀随一の理論家、白川前総裁が正しかったことが改めて証明されたと言っていい。
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量的緩和効果を否定したクルーグマン かつて「日本のデフレの原因は日銀の金融政策にある」と量的緩和に慎重な白川日銀を盛んに批判したのが、リフレ派の教祖的存在でニューヨークタイムズの人気コラムニストでもあるポール・クルーグマン(ノーベル経済学賞受賞者、現CUNY教授)だった。そのクルーグマンでさえ、最近は「流動性の罠に陥った状態(要はゼロ金利でも物価が上がらない日本の状態)で中央銀行にできることはない」と、ゼロ金利下での量的緩和などの非伝統的政策の効果を否定。「日本のデフレの原因は人口動態(つまり少子高齢化と人口減少)だ」と、宗旨替えしてアベノミスクの梯子を外している有り様だ。
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低インフレの原因は終身雇用制度 記事によれば、白川前総裁は英国貴族院議員の質問に答えて次のように語った。
(1)日本はもともと低インフレの国なので、2%のインフレ目標設定には無理があった。日本の低インフレ率の原因は、終身(長期)雇用と低失業率の代わりに、抑制された賃金とインフレ率の組み合わせになっているから。
→つまり、日本がデフレから脱却して賃金と物価の上昇サイクルを起動させ、産業構造転換を進めて生産性や潜在成長率を継続的に上げていくためには、金融・財政政策では無理で、日本の雇用構造を根本的に変える必要がある、ということだろう。実際、日本以外の先進国はそれぞれのやり方でそれをやっている。
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金融緩和と財政出動の慢性化で生産性が低下 (2)金融緩和も財政出動も需要の先食いに過ぎない。一時的なショック(経済危機)の際には効果を発揮するが、無理な金融緩和や財政出動が慢性化すれば将来の需要を奪い続けるため、生産性の伸びや潜在成長力を低下させる。
→日本は慢性的な金余り環境を政策的に長く続け過ぎてしまったため、淘汰されるべきゾンビ企業も延命され、産業構造転換や生産性向上の足を引っ張ってきた。実際、過去30年、安倍政権以降も日本の潜在成長率や生産性の伸びは低下し続けている。


少し前まで日本のGDP成長率や生産性、潜在成長率は、一人当たりや労働時間当たりなら欧米と比較しても案外健闘していたが、急速な少子高齢化と人口減少に加えて間違った金融財政政策が経済の縮小均衡や成長力低下に拍車をかけてしまっている。
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日本の「人口動態」問題とは? 30年前は現役5~6人が神輿を担いで1人の高齢者を支えている状態だったが、今は2人が肩車で1人の高齢者を支えている。単純に言えば、今の現役世代は30年前の現役世代に比べて3倍の社会保障費の負担を余儀なくされている計算になる。これがクルーグマンの言う「日本の人口動態の問題」であり、専門的には「人口オーナス」(オーナス<onus>は「重荷」などの意)と呼ばれる問題だ。ちなみに、人口が増えている社会はこれと全く反対に支える方が増えていき、一人当たりの社会保障負担が減っていくので経済成長しやすくなる。これは「人口ボーナス」と呼ばれる。
実際には社会保障費は100%高齢者向けではない(とはいえ8~9割が高齢者向け)し、税や社会保険料負担の代わりに国債発行で負担の一部を先送りしているので、実際の負担は3倍までは増えていないのだが。さはさりながら、移民受け入れを含めて少子高齢化を一刻も早く止めないと、将来の支える側(現役世代)の減少は止まらず、この「肩車」がさらに厳しいものとなる。このほか、医療現場や介護現場など低生産性労働に大勢の若い労働力が吸い取られてしまうこともあり、日本経済や社会保障は維持困難となる可能性が高い。

人口動態は比較的正確に将来の推移を予測できる。実は、日本が計画的に移民を受け入れず、少子化も止まらなければ、こうなることは20年以上も前から分かりきっていた。にもかかわらず、これまでの政権与党だけでなく野党も国民も、目先の景気回復や負担の先送り(つまり増税反対、国債増発)に終始し、将来の国家的危機からは目を背け続けてきた。
実際には建設や製造工場、農林漁業の現場などは外国人労働者なしには回らない状態にすでになっているのに、日本政府は「移民ではない」と否定し、なし崩し的に外国人の出稼ぎ労働者として受け入れている。
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遅きに失した少子化対策 岸田政権がようやく少子化対策に本腰を入れて予算を倍増させる「異次元の少子化対策」を打ち出したのはむしろ遅きに失したくらいだ。財源がなければ増税してでもやらないと、本当に手遅れになってしまう。
実際にフランスや北欧などの欧州諸国は、大量の移民を早くから計画的に受け入れてきたし、日本よりはるかに高い消費税や所得税を国民が受け入れ、GDP比で日本の2倍を超える予算を投入して少子化対策も早くに実施し、少子化を何とか食い止めている。財政再建も同じだが、対策が遅れれば遅れるほど将来の傷は深くなる。