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自転車運転も免許制にしたらどうか

Posted by fukutyonzoku on 08.2023 公共政策 0 comments 0 trackback
 今年4月に自転車運転者のヘルメット着用が努力義務化されたのに続き、警察庁は自転車への青切符(反則金)導入の検討を始めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3cff46aa61a60b919d72245fc45df84a986ffb5e

 個人的にはどちらかと言えば賛成だが、それなら同時に自転車もこの際、免許制にしたらどうかと思う(世界ではまだ前例がないそうだが)。つまり、自転車全てを50c.c.の原動機付き自転車(原付きバイク)と同じ扱いにするということだ。今は電動アシスト付き自転車も普及しているし、スピードの出るスポーツタイプの自転車も増えている。これらと原付きバイクを法的に区別する根拠は薄くなりつつある。自転車も免許制にすれば悪質運転者への免停処分もできるし、定期講習で自転車に特化した交通法規やマナーの教育もできる。そもそも大人は自転車法規を学ぶ機会がなく、法規範意識が薄く自ら情報収集する意欲がない人は、ルールを知らないまま自転車を乗り続けることになる。警察の取り締まりがあまりないことも一因だろう。

◾️自転車事故は必ずしも増えていない

 ただし事故統計を見ると、実は自転車事故や自転車が絡んだ死傷事故が全国的には必ずしも増えているわけではない。ただ、自動車事故が減り続けている中で、自転車の事故や死傷事故は減り方が緩く、交通事故に占めるウエイトが近年高まっている。高齢化が進んでいることもあって重篤な怪我を負い、巨額の賠償責任が発生する事故が増えており、自転車運転者に保険加入を義務化する都道府県も増えている。脱石油、脱モータリゼイションの政策的視点からも、欧州のような自転車文化の再構築はやはり必要だろう。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/fe166c65acccceb6dd896bb27629f950f4bdda4c




◾️違反運転の増加と法的不備

 自転車は軽車両で、原則として車道を走らなければならないことを知らない自転車運転者はいまだに多いのかもしれない。歩道は歩道通行可の標識表示がある歩道なら例外的に通ってもよいが、その場合もあくまで歩行者優先で、自転車は徐行速度(おおよそ時速8km以下)でしか通れない。もちろん、運転中のながらスマホやイヤホン着用、傘さし運転、夜間無灯火、酒酔い運転、右側通行、信号無視、一時不停止なども違反行為だ。私はロードバイク愛用者の一人だが、若い人に限らずスマホのながら運転は本当によく見かけるし、夜間の無灯火運転も意外に多い。そもそもライトが付属しておらず別売りになっているスポーツバイクが増えた影響が大きいのではないかと思う。
 ただ、現行法では自転車の違反行為に対しては悪質重大な違反に罰金(刑事罰)を科す「赤切符」と「指導警告カード」(イエローカード)しかない。イエローカードは14歳以上で3年以内に2回以上カードを受ければ講習受講が義務付けられるが、そもそも都心などを除いて警察がそれほど取り締まりを熱心にやっているとは言えない。昨年の自転車の赤切符での検挙数は全国で2万4549件だが、起訴されるのは重大な人身事故を起こした場合の1~2%程度に限られているという。もちろん人身事故を起こせば、過失傷害罪や過失致死罪、重過失致死傷罪として刑事事件化され、前科がつくこともあり得る。そこで、赤切符と警告カードの中間に当たる「青切符」(行政罰)の導入が検討されているわけだ。
https://vict-keiji.com/%e4%ba%a4%e9%80%9a%e4%ba%8b%e6%95%85%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/%e8%87%aa%e8%bb%a2%e8%bb%8a%e9%81%8b%e8%bb%a2%e3%81%ae%e8%b5%a4%e5%88%87%e7%ac%a6%e3%81%a7%e5%89%8d%e7%a7%91%e3%81%af%e3%81%a4%e3%81%8f%ef%bc%9f%e5%8e%b3%e7%bd%b0%e5%8c%96%e3%81%ae%e3%83%9d%e3%82%a4/

◾️道路整備や自転車走行環境の改善も必要

 ただ、自転車運転者に対する締め付け強化だけで重大事故を減らす実効性が本当に上がるのか、という疑問もある。日本の道路環境はそもそも自転車運転者のことがあまり考慮されておらず、道路整備が必要なことも事実だからだ。狭くて危険な車道を走りたくないという自転車運転者の気持ちもよくわかるし、自動車ドライバー側も狭い車道を走る自転車は危なっかしくて気を使う。かつては自転車は歩道走行が原則だった時代が長くあり、市街地は歩道を広めに整備してきたという道路行政の一貫性のなさも事態を複雑にしている。
 スポーツタイプの自転車はアルミやカーボンなど新素材開発によって格段に軽くなり、電動アシスト自転車も増えている。つまり昔よりスピードが出やすくなっており、そのことが危険な衝突事故の増加につながっているのかもしれない。このため通行帯を原則として歩道から車道に変更したのは正しいとしても、その車道が自転車走行を前提に造られていない。そもそも幅の狭い道路が多過ぎるのだが、せめて歩道幅の広い道路は歩道幅を削って自転車専用レーンへの切り替えを急ぐべきだろう。オランダやドイツなど欧州諸国は大抵10年計画で全ての道路に自転車専用レーンを計画的に整備してきたそうだ。
#警察庁 #自転車 #青切符
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子供を持たない人々の社会保障「ただ乗り」を正さないと少子化は止まらない

Posted by fukutyonzoku on 05.2023 公共政策 0 comments 0 trackback
 出生率を政策的に本気で引き上げたいなら、結婚して子供をたくさん持つ方が税や公的給付によって「経済的には得をする」と誰にでもわかる制度に変えなければ、明確な効果はでないのではないかと思う。
 手厚い少子化対策支援を実施してきたフランスや北欧諸国の出生率も最近は再び低落傾向にある。少子化の原因が本当に子育ての「経済負担の重さ」なのかどうかもはっきりしない部分がある。とはいえ、少なくともその仮説を前提に支援策を実施するのであれば、中途半端な支援ではますます効果は限られると思う。

◾️「異次元の子育て支援」に欠落している高等教育費無償化

 税なら、結婚や子供の数によって思い切った所得税減税、または子供のいないおひとり様や夫婦に対する「無子税」課税を、給付では教育費を含めて基本的に欧州並みに子育てには家庭の経済負担がほとんどかからない制度に変えることは「最低限」やるべき政策だ。できれば子供の数が増えるほどたくさん給付を受けられるようにすべきだろう。
 岸田首相が打ち出した「異次元の子育て支援」策には、子育てのための経済負担の大宗を占める高校卒業以降の高等教育費支援が欠落している。欧州や中東のように大学や専門学校、職業訓練校を基本的に無償化すれば、子育て支援予算は岸田首相が目指すGDP比倍増程度では恐らく済まないだろう。それでも「子育てにはお金がかからない」社会にすることが最低条件であるとするなら、絶対に必要な政策だ。そのためには必要なら消費税率を(段階的に)20%超にしてでもやるべきである。

◾️「子供を持たない選択」は社会保障へのただ乗り

 「子供を持たない自由に対する人権侵害だ」との批判も予想させるが、これは完全に的外れな批判だ。結婚するかしないか、子供を持つか持たないかの選択は基本的に個人の自由である原則は、今と何も変わらない。むしろ現在の制度では、子供を持たない人の老後は、同世代の子育て世帯が重い経済負担をして苦労して育てた子供や孫の世代の負担や医療介護労働によって支えてもらうことなる。現行制度のように、子供を持たない人の生涯にわたる社会保障負担が、子供を育てた夫婦の負担と基本的に同じなら、自らの老後は社会保障制度に「ただ乗り」していることになるはずである。
 独身者や無子夫婦も「社会保障負担ならしている」と反論するかもしれないが、現在の社会保障制度は基本的には賦課方式であり、現在の負担は現在の要支援者に対して行っているのである。しかも、子育てをしている家庭と所得が同じなら基本的に社会保障負担額は変わらない。自らが高齢者になって要支援者になった時に支えてくれるのは子供や孫の世代なのだ。自らが現役世代の時に子供を育てる負担をしていないということは、自らが高齢者になって要支援状態になった時には他人が苦労してお金もかけて育てた子供や孫の負担に「ただ乗り」することになる。
 社会福祉のない前近代社会なら、子供が親の老後の面倒を全面的に見るのが当たり前(姥捨という悲劇もあっただろうが)で、子供がいなければ養子を取って育てるか、それなりにお金や資産を貯めて自分の老後は他人にそのお金や資産を譲ることと引き換えに世話になるか、単に周囲に迷惑をかけるか、野垂れ死するかしか選択肢はない。結婚や出産・子育ては今のような恋愛などの個人的、情緒的なものではなく、家業の労働力獲得や老後の保障、家や村の存続や安全保障に直結する、より切実な意味を持つ社会制度・慣習であった。

◾️非婚化や少子化を招いている現行制度の欠陥

 社会保障制度はその仕組みを国家レベルに社会化しただけで、基本原理に違いはない。多くの人が子供を持たない選択をすれば、支える側の子供世代の人口が減り、自分たちの世代より数が多い親世代の面倒を見るための一人当たり負担が重くなる。これは誰にでも理解できる簡単な理屈のはずだ。かと言って「私(たち)は子供を持たない選択をしたのだから、老後は他人が苦労して育てた子供世代の世話にはならない」と社会保障給付を拒否し、老後にかかる費用を全額自己負担しようとする危篤なお年寄りは余程富裕な資産家でもない限り、いないだろう。
 つまり、子供を持っても持たなくても社会保障負担が基本的に変わらない現行制度がむしろ不公平なのであり、子供を持たない方が経済的にも楽だし自由な生活を楽しめるから結婚しないし、結婚しても子供をあまりたくさん持たない選択をする人が増えるのは当たり前なのだ。家族主義的な価値観を捨てさえすれば、生涯一人でいることやDINKs(子供のいない共働き夫婦)でいる方が制度的に合理的な選択になってしまっている。この社会保障の制度的欠陥が非婚化や少子化を招いていると言っても過言ではない。
 社会の非婚化や少子化を逆転させるには、先述したように結婚し子供をたくさん持てば持つほど経済的には楽になるよう社会保障制度と負担のあり方を根本的に変える必要がある。中途半端な対策を「異次元の子育て支援策」と呼ぶのは看板倒れとなる可能性が高いだろう。

資源効率が悪く、環境負荷も高く、家畜福祉にも反し、自給もできない畜産業を年6500億円もの国民負担で保護する日本農政の不合理

Posted by fukutyonzoku on 04.2023 公共政策 0 comments 0 trackback
 日本で真っ当な農業経済学者は山下一仁さんだけではないかと思う(プレジデント・オンライン2023/04/22「日本のコメや牛乳はなぜこんなに高いのか…マスコミが喧伝する『農家は苦しい』を信じてはいけない 消費者を苦しめつつ、食料安保を守れない農政の大問題」

◾️家畜の輸入穀物飼料は国内コメ生産量の1.6倍

 畜産業は世界の温暖化ガス排出の14%を占め、うち65%は牛。つまり世界の温暖化ガスの9%は牛畜産で発生している。牛はCO2の25倍も温室効果の高いメタンのゲップを大量に吐き、牛豚の糞尿からも温暖化ガスが発生する。特に日本は飼料用コーンを中心に穀物飼料を重量ベースでコメ国内生産量の1.6倍も米国、ブラジルなどから輸入して家畜に食べさせている。米国や豪州、ニュージーランドのような酪農大国が放牧で草だけを食べさせる本来の酪農に必要な広大な牧草地が少ないからだ。これが日本のカロリーベースの食料自給率を押し下げている最大の要因でもある。
 そもそも牛畜産は食料資源効率が極めて悪く、水資源も大量消費する環境負荷の極めて高い産業だ。なかでも日本は牛を狭い牛舎に閉じ込め、本来は草しか食べない反芻動物である牛に輸入穀物を大量に食べさせ、牧草でさえ乾牧草を輸入して食べさせている。自然の摂理に反した非常に歪な飼育形態だ。年1200万㌧もの輸入穀物飼料を国産で代替するのは量的にも不可能(ちなみにコメの国内生産量は年700~800万㌧)なため、食料安全保障にも全く役に立たない。これまでは米国やブラジルが大量の余剰トウモロコシを抱えていたから安い飼料コーンを輸入できたが、米国穀倉地帯も干ばつが増えており、今後はどうなるかはわからない。輸入穀物飼料代は日本の畜産業の生産コストの4~5割を占めているため、海外の穀物相場が高騰すれば、ただでさえ高い日本の畜産製品価格は跳ね上がるし、もし輸入途絶すれば国内畜産業は壊滅し、国民への供給責任も果たせなくなる。
 その自給できない国内畜産業界を守るために国民は高関税による価格支持や補助金で年6500億円もの負担をして保護している(うち5240億円は高関税による価格支持の消費者負担)。

◾️日本の農業保護水準は欧米の2~3倍

 OECDのPSE(Producer Support Estimate:生産者支持推定量)という農業保護の指標がある。これは、財政負担によって農家の所得を維持している「納税者負担」と、国内価格と国際価格との差(内外価格差)に国内生産量をかけた「消費者負担」の合計だ。農家受取額に占める農業保護全体のPSE割合(%PSEという)は、2021年時点で米国10.6%、EU17.6%に対し日本は37.5%。つまり、日本の農業保護水準は欧米より突進して高く、農家収入の4割は農業保護だということだ。



 また、日本の農業保護は高関税による消費者負担割合が圧倒的に高いという特徴がある。各国のPSEの内訳をみると、農業保護のうち消費者負担の部分の割合は、2021年では米国4%、EU13%に対し日本は76%(約4兆円)。欧米が関税による価格支持から直接支払いへ政策を変更しているのに、日本の農業保護は依然高関税による価格支持が中心だ。国内価格が国際価格を大きく上回るため、輸入品にも高関税をかけなければならなくなる。



 日本の場合、消費者は国産農産物の高い価格を維持するために、輸入農産物に対して高い関税を負担している(小麦や牛肉など)。これまで、消費量の14%しかない国産小麦の高い価格を守るために、86%の外国産小麦についても関税(正確には農林水産省が徴収する課徴金)を課して、消費者に高いパンやうどんを買わせてきた。

◾️欧米の数倍もする日本の牛乳・乳製品小売価格

 しかも畜産の場合は自然に適った放牧ではなく、牛舎や狭いケージに閉じ込めて濃厚飼料(輸入飼料穀物)を大量に与えるというアニマルウェルフェア(家畜の福祉)にも反する不健康な飼育をしている畜産を保護するために、だ。鶏もEUや米カリフォルニア州では狭いケージに閉じ込める「ケージ飼い」はすでに法律で禁止されているが、日本の鶏畜産は依然99%がケージ飼いだ。
 資源効率が悪くて環境負荷も高く、家畜福祉にも反し、食料安保にも役立たない畜産業を巨額の国民負担で保護する政策根拠はないと言っていい。この円安下でも日本の肉類や乳製品価格は高関税の価格支持によって欧米の数倍もする。



 関税を撤廃して輸入の肉類・乳製品の価格を大きく下げ、放牧や国産飼料だけでの自給に取り組む畜産酪農家への所得補償に集中させる方が理に適っており、国民負担も減るはずだ。量的に足りない分は関税撤廃で安くなる肉類・乳製品輸入を増やせば消費者負担も減る。牛乳は輸入の脱脂粉乳とバターで加工乳を作れば、今よりはるかに安く作れるし、味も変わらない。

◾️牛乳も輸入代替ではるかに安くなる

 日本のスーパーで売られているミルクはこうした加工乳も多いが、ほとんど「牛乳」と区別なく買われている。そもそも日本の超高温殺菌という特殊な殺菌では、欧米の低温殺菌に比べて牛乳本来の風味や体に良い菌やビタミン類まで失われており、欧米人に言わせればまずくて飲めたものではない代物だそうだ。脱脂粉乳とバターからつくる還元乳(加工乳)と味がほとんど変わらないのがその証拠でもある。バターの比率を高めて乳脂肪分を増やした「特濃牛乳」をおいしいと言って飲み、逆に減らした低脂肪乳も好んで飲む国民なので、何も問題は起こらないだろう。低温殺菌の本物の牛乳は、今でも牧場に行って高価な牛乳を買わないと飲めないので、同じことだ。
 「和牛」も牛に濃厚飼料を大量に食べさせて運動もさせずに太らせたオメガ6脂肪酸まみれの牛肉であり、不健康そのもの。守るべき伝統的な和食文化とは到底思えない。鶏卵だけは輸入代替が難しいので、鶏畜産は何らかの保護を残す必要があるかもしれないが。

◾️関税を撤廃し、自給可能な畜産だけを守るべき

 世界の畜産も資源効率や地球温暖化対策、家畜福祉などの観点から規制が強化されつつあり、縮小を余儀なくされている。ましてや牧草地が少なく農地も狭くて穀物生産力も低い日本は本来畜産には向いていない。このため、高い国民負担を維持して「(偽装)国産」の畜産を保護し、維持しようとすることは不合理だ。餌を含めて本当に自給可能な業者だけを保護し、あとは安い輸入品に頼りながら代替肉や代替乳に置き換えていくのが日本に最適な政策の方向性だろう。

地熱資源量世界3位の日本で地熱発電が進まない理由

Posted by fukutyonzoku on 18.2023 公共政策 0 comments 0 trackback
 火山国である日本の地熱資源量(2347万kW)は米国(3000万kW)、インドネシア(2779万kW)に次ぐ世界第3位だ。にもかかわらず、地熱発電の設備能力は米国、インドネシアが資源量順位と同じ1位、2位なのに対し、日本は、資源量が4分の1のアイスランド(580万kW)や7分の1のイタリア(327万kW)も下回る10位にとどまっている。人口37万人のアイスランドは電力供給の7割以上を地熱発電で賄っており、安価な電力を国民に供給している。人口規模が全く違うアイスランドとは単純に比較できないが、日本にとっては数少ない貴重な国産の再エネ資源なのに、なぜ開発が進まないのだろうか?
https://geothermal.jogmec.go.jp/information/plant_foreign/

https://www.globalnote.jp/post-3238.html

 結論を一言で言えば、原因は「温泉利権」との利害衝突である。日本は火山性熱源に温泉利権が張り巡らされ、温泉の枯渇を懸念する温泉旅館組合や地元行政の反対が強いため、地熱発電開発が思うように進まない。地熱発電の熱源は地下深い場所から汲み上げることが多いため、実際に温泉に影響があるかどうかはやってみないとわからないのだそうだ。
https://courrier.jp/cj/325542/?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=325542&utm_content=nippon

 日本の温泉地は全国約3000、源泉は2万7000もあると言われ、古くは約6000年前の縄文遺跡からも温泉の痕跡が見つかっており、古事記や日本書紀にも温泉に関する記述がある。温泉は日本古来の文化であり、今でも重要な観光資源だ。豊富な水資源と火山性熱源をともに有する結果、自然に湧き出る温泉が多く、それを頼りに旅館を経営する人々にとって、温泉資源の枯渇はまさに死活問題だろう。
 
 温泉の出る他国はなぜこうした問題があまり聞かれないのだろうか。
 米国では中西部のロッキー山脈の中に温泉地が点在する。私も留学生だった時に、米アーカンソー州の温泉リゾート地、ホットスプリングス(都市名が「温泉」!)を訪れる機会があり、公共の屋外温泉プールに入ったが、米国の「温泉」とはまさにこうした温泉を使った温水プールのことだ。せいぜいスパリゾート施設である。プールと言っても普通のプールのようにバシャバシャ泳ぐ人はさすがにおらず、利用者は高齢者ばかり。全員水着を着て、当然男女混浴で、ぬるめの温泉プールにゆったりと浸かっている。
 元々は先住民のネイティブ・アメリカンが湯治に利用していたらしいが、南北戦争の後にはここに陸軍・海軍病院が開設されたという。要は傷痍軍人の療養施設だ。19世紀後半以降、この地にはギャングが住み着き、市政も腐敗して違法カジノや売春がはびこったというが、第二次世界大戦後には浄化運動が起こり、1960年代には一掃された。湯治場として栄枯盛衰を繰り返しながらも、米国の温泉リゾートは基本的には怪我人や病人の療養や高齢者の保養という意味合いが大きく、入浴の習慣がそもそもない一般の人々のリゾートとしては定着していない。
 イタリアにも古代ローマ時代から温泉が普及していたことは、映画にもなった『テルマエ・ロマエ』でも描かれたが、やはり日本のような入浴文化はない。ただ、温泉に効能があることは早くから知られ、米国と同じように医療療養施設のプールやスパはあり、医療保険の対象にもなっているという。無料の露天温泉も多いとか。誰も施設開発をせず、自然に湧き出ている沼や川などが多いようだ。
https://www.adomani-italia.com/blog/column/onsen-1/

 そもそも日常的に入浴したり、温泉をこれほどよく利用する民族は世界でも日本人だけらしい。これほど多くの温泉地や温泉旅館があり、病気でもない一般の人々がこれほど温泉旅行を楽しんでいる民族は日本人以外にはないということだ。地熱発電設備が入り込む余地がないほど、日本人は地熱資源を温泉としてフル活用しているということでもある。温泉は健康にもよいので守るべき文化だろう。
 温泉が枯渇しない範囲で科学的に熱資源を管理しながら、地熱発電利用と共存する方法はないものかと思う。

「移民倍増」「公的教育費倍増」に踏み込まない岸田政権の片手落ち

Posted by fukutyonzoku on 07.2023 公共政策 0 comments 0 trackback
 岸田文雄政権は「異次元の少子化対策」として子ども予算倍増を打ち出したが、なぜか移民受け入れ倍増や公的教育費の倍増には踏み込んでいないのは極めて片手落ちだと思っている。
 少子化対策がなぜ必要かといえば、人口ピラミッドの逆三角形化による人口オーナス(従属人口増加と生産年齢人口減少に伴う社会保障負担の増加と経済成長率の低下)や人口減少を止める、ないしは緩和し、経済や社会保障の破綻を防ぐためだろう。

◾️フランス、スウェーデンでも再び低下する出生率

 ただし結局、少子化対策に国家予算を注ぎ込んで成功したとされるフランスでも、合計特殊出生率はボトムだった1993~94年の1.73から一時は人口維持のために必要な2を上回ったものの、2020年には1.83まで再び低下している。同様にスウェーデンの合計特殊出生率もボトムだった98~99年の1.50から、少子化対策が奏功して2010年には1.98まで回復したが、20年にはやはり1.66まで低下している。結局、両国とも人口や労働力人口の増加を維持するために、より重要な役割を果たしているのは移民なのだ。
https://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WB&d=TFRTIN&c1=FR&c2=JP
https://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WB&d=TFRTIN&c1=SE&c2=JP



 恐らく移民の本格的な受け入れは自民党内の保守派の抵抗が強く、世論の抵抗も強いとみて、岸田首相は議論しようとしないのだろう。少子化対策が不要だとは思わないが、もし効果が出たとしても労働力人口の増加という効果が出るのは20年以上先の話。それまでは子供という従属人口が増え、社会の負担はむしろ増える。移民の大幅増なしに当面の労働力人口や総人口を増加に転じさせることは無理だろう。

◾️大学など高等教育費負担は重いまま

 また、「異次元の少子化対策」と言いながら、子供に最もお金がかかる大学や専門学校の学費に手をつけようとしていないのは、いかにも中途半端だ。日本も今や4年制大学への進学率は5割を超え、短大、高専、専門学校を加えれば8割を超えている。大陸欧州の大学や専門学校は自国民なら基本的に学費は無料だ。
 米国の大学の学費は世界でも突出して高いが、それでも州立大学で州内の学生なら年1万㌦程度なので、日本の私立文系と変わらない。物価や平均収入の差を考えれば、実質的には日本の私立より安いだろう。何より米国の大学は給付型奨学金が日本とは桁違いに多く、親の収入が少ないほど、成績が優秀なほど奨学金を得やすい。また私立大学は国際競争力が世界トップレベルのため、学費が高くても世界中から王族や富裕層の子弟、国費・社費留学生が集まる。OBの寄付金も桁違いに多く、公的な研究費助成も日本よりはるかに多いため、経営的にも成立する。米国の私立大学事情は日本には全く参考にならない。
 また日本の大学は学費もさることながら、有力校が大都市や都心部に集中し過ぎており、学生寮も少ないため、都心の大学に通う子供の親は仕送りが大変になる。欧米の大学は郊外の広大な敷地に立地し、敷地内に十分な学生寮を完備し、全寮制の大学も多い。日本の大学はこうした基本的なインフラも貧弱で、子供の生活費でも余計にお金がかかる。多額の貸与型奨学金(教育ローン)を借り入れ、アルバイトを掛け持ちしないと大学に通えない学生が大半だ。親も子も経済負担が重過ぎる。欧米の大学は学生の落第率が高いため、アルバイトなどしている余裕はなく、必死に勉強する。24時間オープンの学内図書館も珍しくない。日本の大学は入るまでは大変だが、入ってしまえば卒業は簡単。実際、9割方は卒業できる。国際機関が公表している大学の国際ランキングでも日本の大学の評価は低下し続けている。

◾️日本政府はなぜ教育に金を使わない?

 少子化対策に通じる親の経済負担の面でも、国力の源となる教育機能の面でも、日本の大学は抜本的な改革が求められているはずなのに、なぜか政策メニューに上がっているのは理系シフトやIT対応程度にとどまっている。ブラック職場化している公立中高の劣化も著しく、それも私立中高や塾通いなどで親の経済負担を増やす要因となっている。要するに日本は豊かになった後も公教育の充実をケチって受験産業などの手に委ねてしまい、ビジネス化してしまったのだ。教育や医療、社会保障などの国家的社会インフラは市場原理に委ねてはいけない。公教育の再建は急務だ。
 「資源も何もない国の最重要政策は教育。人材こそ宝」という明治期以来の「国家百年の計」に立ち返るなら、「高等教育は自己負担」という発展途上国の教育体制のままここまで来てしまったのは、もしかしたら日本の国力衰退の最大の原因かもしれない。少子化や社会階層の固定化が起こっているのも子供の教育費負担が重いことが大きな要因なのは明らかだ。なぜ国家リソースをもっと教育に注がないのか。そのために増税が必要ならやればいいではないか。北欧諸国を見ればわかるように、国民負担や社会的再分配の大小と経済成長率の間には相関関係などないのだから。北欧諸国は国民負担率は高いが、教育力・学力は世界屈指で、それが国家指導層の優秀さや企業の国際競争力、ユニコーン輩出にも繋がっている。資本主義や市場原理は放っておけば「勝者総取り」になるので、それだけで比較的うまく行くのは米国だけだろう。その米国でさえ国民の租税負担率は日本より高い。