村上龍さんが編集長を務めるメールマガジン「
JMM」の「村上龍が金融経済の専門家たちに聞く」の配信を受けている。最新の質問
「日本にも政府債務の上限を決める法制度が必要?」の問いに対する津田栄さんの回答(JMM722M-5、1月14日配信)を読んだが、津田さんの意見は、そもそも立論の前提となる基本的事実認識に重大な誤りが多いため、ハッキリ言って支離滅裂な主張になっている。
津田さんの意見は、日本でも政府債務の上限を法で縛るのは理想としては必要かもしれないが、 米国とは政治制度が違うので無理だろうし、向かない--というのが結論。具体的には、米国は大統領制なので議会がチェック機能を果たそうとするが、日本は議員内閣制のために政府と議会与党は原則的に一体だし、お上意識が元々強いので、そのようなモチベーションは働きにくい、という。
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大統領制か議院内閣制かは無関係 しかし、米国の債務上限を定めた公債法よりさらに放漫財政を厳格に律する法律(財政責任法)を最初に導入した「本家」とも言えるニュージーランドや英国は、日本と同じ議院内閣制であり、両国とも法制定後は政府債務が着実に抑えられ、はっきり成果が上がっている。この事実だけをみても、同様の立法化の必要性や実現性にとって、大統領制か議院内閣制かはあまり関係がないことがわかる。
また、米国は大統領制だから、大統領府の暴走を抑えるために議会が債務上限を抑える法制定の必要性があったのだと津田氏はいうが、米国の予算編成権は日本とは違って議会(議会予算局=CBO)にある。もちろん大統領には拒否権があるものの、予算編成の主導権はあくまで議会が握っているのだ。従って、上記の津田氏の説明はそもそもナンセンスである。
ただし、米大統領の所属政党と議会与党が違う「ねじれ」が普通のことになってはいるが、一致するケースも当然ある。その場合、政府・与党が原則的に一体である議院内閣制と同じ構図になるわけだ。つまり、今回のこの議論においては、行政府のトップが直接選挙で選ばれたか、議会が選んだかの違いはあまり意味がないのだ。
また、もともと米国の債務上限は1917年成立の公債法で定められたが、2001年以降だけでも10回とほぼ毎年のように引き上げられている。つまり、同法改正による債務上限の引き上げは、今回もギリギリまで与野党の調整が難航したことをみれば一定の歯止めにはなっているものの、半ば形骸化してしまっているとも言える。米国にもNZや英国のような本格的な財政責任法が必要なのかもしれない。ただし、米国の場合、ドルが基軸通貨であり続ける限りにおいては、政府債務をファイナンスする資金が海外から容易に集まる強みがあるので、日本などと同列には論じられないのだが。
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日本にこそ必要な財政責任法 津田氏が指摘している通り、衆参のねじれで国会が一体とは言い難い状況が続いているとはいえ、議院内閣制の下で政府と議会与党は原則的に一体である。政府には政権維持のために財政拡張による一時的な景気刺激を求める誘惑に常にかられる宿命にある。このため、政府と与党が一体である議院内閣制の方がむしろ、財政責任法のような厳格に財政規律を守る恒常的なルール制定の必要性が高いのではないか。日本のように議会に財政破綻への危機感が薄く、選挙区への利益誘導の意識が依然として強い政治風土の下では、なおさらだ。
政権基盤が安定していた自民党一党支配時代なら、少なくとも党中枢にはよくも悪くも「責任政党」の自覚と自負があった。そのため、中曽根政権時代の「土光臨調」による行政改革や、橋本龍太郎、小泉純一郎両政権時代の財政均衡と構造改革といった財政規律を重視する政権も現れるのだが、現在のように政権が非常に不安定になれば、政権は選挙を考えてポピュリズム色を強めがちとなる。
日本の議会には「お上意識が強い」というのはその通りかもしれないが、それは官僚への「無謬神話」が強かったと言い換えることもできよう。ただし、民主党政権ではむしろ「脱官僚」や官僚バッシングが流行し、少なくとも最近は単純に「日本はお上意識が強い」とは言い難い状況に変化している。そのくせ、政権運営の経験も少なく国益意識も低い無責任な政党や議員が「政治主導」を振りかざし、迷走を繰り返したのが民主党の鳩山、菅の両政権だった。
いずれにしても、議会のチェックが働かないのは「ねじれ国会」で国会自体が機能不全に陥ってしまっていること、さらにはその「お上」自体も弱くなってしまった結果、長期的な国益を見据えて不人気政策を実行する力がなくなり、無責任な政府に成り下がっているためではないかと思う。
米国の政権は原則として4年間は政権の座が保証されており、特に2期目の4年間は選挙を気にせず政権運営に当たることができること、あるいは予算編成権が議会にあること、債務上限を定めた公債法など、財政規律が働く仕組みがそれなりに工夫されている。政府と議会与党をねじれさせる絶妙な有権者のバランス感覚も政治制度をうまく補完している。
ニュージーランド、英国等の議院内閣制の国では、財政規律に対する国会のチェックが働きにくい欠点を補完するために、債務上限だけを定めた米国の公債法より厳格な「財政責任法」を与野党が協力して立法化し、政府の財政拡張を牽制していると考えられる。もちろん、これも財政状況や時々の議会の勢力分布によって改正され得るが、財政規律を保つというルールは本来、党派を超えて共有されるべき長期的な国益に沿ったものなので、その原則を無原則に緩める法改正は、政府・与党であってもそう簡単ではなく、一定の歯止めになることは間違いない。
なお、欧州連合(EU)では、毎年の財政赤字はGDP比3%以内という厳しい財政規律が加盟条件として規定されているため、これが放漫財政に対する強力な歯止めとなっているのは、ご存知の通り。
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谷垣自民党が提出した財政健全化責任法案 民主党政権時代の野党自民党は「財政健全化責任法案」を議員立法で国会に三度も提出している。消費税増税を早くから主張し財政再建に熱心だった谷垣禎一氏が総裁だった影響が大きいと思うが、「大きな政府」志向の民主党政権によって結局、廃案に追い込まれた。内容は、10年以内にプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化し、予算の必要な政策には経費を上回る財源を安定的に確保する(ペイ・アズ・ユー・ゴー)原則、税制・社会保障の抜本改革の義務付けなどで、英国などの財政責任法に近い内容だ。

現在の安倍晋三政権は「デフレ脱却」のために過去最大級の補正予算を編成し、再び財政拡張に舵を切ろうとしている。谷垣自民党と同じ自民党とは思えないほどの政策転換なのだが、これもねじれ国会のために政権が不安定で、今夏の参院選に勝つためには、とにかく国民が求めるデフレ脱却(景気回復)になり振り構わず邁進せざるを得ないという選挙事情、政権が不安定であるという事情も一因ではないだろうか。
議院内閣制を採用しており、小選挙制度の導入などで政権が不安定となり、政府債務のGDP比が主要国最大で最悪の財政状況にある現在の日本は、やはり英国などに倣って厳格な財政責任法を制定する必要がある。政権がもう少し安定すればできない話でもないはずだ。財政が相当に追い詰められている現状を考えれば、その時期はそう遠くないだろうと思う。
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