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「アンパンマン」に込められた反戦リベラリズム

Posted by fukutyonzoku on 09.2014 日記 2 comments 0 trackback
NHKスペシャル「みんなの夢まもるため~やなせたかし"アンパンマン人生"~」はなかなか感動的な内容だった。
まずはNHKのホームページに掲載されている番組紹介の再掲します。
http://www.nhk.or.jp/special/sp/detail/2014/0105/
国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親、やなせたかしが94歳の生涯を閉じた。アンパンでできた顔を弱った人に食べさせる可愛いヒーローは、幼児向けの作品だと思われがちだが、その底流には、絶望の連続だったやなせの人生が色濃く投影されている。若き日の過酷な戦争体験。長くヒットに恵まれず苦悩した日々。妻を襲った不治の病…。やなせが作詞したアンパンマンのテーマには「なんのために生まれて なにをして生きるのか」「そうだうれしいんだ生きるよろこび たとえ胸の傷が痛んでも」等々、深い人生哲学が込められている。そしてその曲は、東日本大震災の被災地でも繰り返しリクエストされ、いまも多くの人びとの心をとらえつづけているのだ。番組では、やなせたかしの“希望の種”とも言える遺伝子を受け継いだ、著名な漫画家やミュージシャン、俳優、そして市井の人びとを通して、やなせが遺したメッセージをひも解いていく。やなせと同郷の漫画家・西原理恵子や戦争世代の盟友・ちばてつやらが、やなせの知られざる創作の跡をたどりながら、その遺したものを漫画で表現すれば、やなせの絵本で育ったミュージシャン・一青窈は、アンパンマンのテーマをまったく新しいアレンジで歌い上げる。やなせが波乱の人生の最期にたどり着いた「生きる意味」を、深い余韻の中でかみしめながら、新しい年を生きる力にしたい。(NHKホームページから)

個人的にもアンパンマンのテレビアニメは娘が幼児期に大好きだったので、よく一緒に見た。主題歌「アンパンマンのマーチ」は、当時はやなせさん自身が作詞したことは知らなかったが、その哲学的な歌詞と三木たかし作曲の心地よくも力強いマーチに、いつも心を鷲掴みにされ、時に涙ぐんでしまうほどだった。それほど力のある歌だ。
この番組を見て、その謎が少し解けた気がした。やはり、そうだったのか。この歌詞は子供だけでなく、現代の大人たちへの強烈なメッセージソングだったのだ。

やなせさんは4歳の時に父が病死。母は再婚し、やなせさんは幼い弟とともに親戚に引き取られた。その弟はその後、京都帝大に入学、自慢の弟だったというが、特攻隊員として22歳の若さで戦地に散った。
やなせさん自身も戦地に送られ、多くの戦友が戦死。戦地で軍は「長期戦になるから食糧を節約せよ」と。兵站が底をつき、野草やたんぽぽの根まで食べて飢えを凌いだ。「正義の戦争というが、まずは飢えている仲間を食べさせるのが正義ではないか。その思いがアンパンマンにつながった」と後に書いている。
お腹が空いた子供、泣いている子供がいれば、アンパンマンは自分の顔をちぎって食べさせる。たとえ自分は弱って敵にやられても…。正義を振りかざして勇ましく敵をやっつけることは本当の正義なんかじゃない。弱くて格好悪くても、時には自分が犠牲になってでもみんなの暮らしや平和を守ること、それこそが本当の正義なのだと…。政治や外交の世界にも通じそうな反戦リベラリズムではないか。

♪なんのために生まれて
なにをして生きるのか
答えられないなんて
そんなのは嫌だ


やなせさんより世代は下だが、やはり
戦争世代のちばてつやさんは「戦争で生き残った人間が共通して背負い続ける、重い問いかけです」と語る。

主題歌でアンパンマンが守ろうとする「みんな夢」とはなんだろう。
「成功という意味の夢ではなく、この世界の平和度がちょっと上がるとか、不幸さがちょっと下がる、それがやなせ氏のいう『夢』ではないか」
東日本大震災の後、やなせさんのポスターに励まされたという陸前高田出身の漫画家、吉田戦車さんは、番組の中でそう語る。

アンパンマンが大ヒットしてやなせさんが漫画家として世に出たのは、ようやく69歳になってから。アンパンマンを描き始めてから20年も経っていた。漫画家としての人生も決して平坦ではなかった。

♪今を生きることで
熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで
そうだ、嬉しいんだ
生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも


やなせさんとは同郷で、可愛がられた「毎日かあさん」の西原理恵子さんは、「人生には悲しくて辛いことがたくさんあるけど、それでも希望を捨てずに前向きに明るく笑って生きていけば、悲しみは必ず希望に変えられるという人生賛歌です」と語る。
妻に先立たれたやなせさんの良き相談相手だったという里中満智子さんも
「やなせ先生自身は実は涙も流しているし、心も傷ついている。でもそれは見せないようにして、何のために生きるのか、それがわからないうちは死んじゃったらつまらないじゃないか。だから生きるって素敵なことだよ、って」。

大震災の直後から、被災地のラジオ局に「子供たちが安心するように」と「アンパンマンのマーチ」にリクエストが殺到。しかし、むしろ励まされたのは、大人たちだった。
「歌を聴いて涙が止まらなかった」「命を語るエネルギーを感じました」
「こんな歌詞だったのか。元気が出ました。ありがとう」
このことを聞いたやなせさんは、当時92歳。入退院を繰り返していたが、被災地のためにアンパンマンのポスターやイラストを描き続け、被災地に届けた。
ポスターには「ああ、アンパンマン やさしい君は、いけ、みんなの夢まもるため」と主題歌の歌詞の一節が大きく書かれている。
被災地の支援に向かった自衛隊員は「実は、私たちは本当に被災者のみなさんの役に立っているのだろうか、と悶々としていました。あのポスターをみるまでは」と。やなせさんにポスターを依頼、隊の休憩所などに貼ったという。

津波で工場を失い、廃業を考えていた醤油醸造メーカー社長は「それまで私は被災者で、やってもらう側だった。しかし、やなせ先生のイラストをみて考えが変わった。地域のために自分ができることは何かと」。
被災を免れた他社の施設を間借りし、製造を再開。地元で長年愛されてきた醤油を仮設住宅などに届けている。
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