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集団的自衛権反対派には単独防衛の覚悟があるのか

Posted by fukutyonzoku on 10.2014 政治・経済 0 comments 0 trackback
民主党政権時代の中国大使で伊藤忠商事前会長の丹羽宇一郎氏が、日経電子版で連載中の「丹羽宇一郎氏の経営者ブログ」で、「集団的自衛権のワナ 第1次世界大戦100年の教訓」と題したコラム(4月9日付)を書いていた。

記事で丹羽氏は、第1次世界大戦が今で言う『集団的自衛権の相互行使』によって発生し、泥沼化していった側面がある、と主張する。しかし、その解釈は明らかにおかしい。

第2次世界大戦後の冷戦期にも世界は北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)という東西の集団的自衛権の相互行使を条約化した2大陣営に分かれていたが、第3次世界大戦は今のところ起こっていない。キューバ危機など一触即発の危機はあったが、破滅的な核戦争に至る恐怖に加えて、この2大共同防衛体制による「力の均衡」が第3次世界戦争の抑止力になったと理解するのが一般的な解釈だろう。「集団的自衛権が戦争拡大と泥沼化を招く」との解釈は相当に強引な解釈である。

日本単独で尖閣を守れるか

集団的自衛権の行使容認について、リベラル勢力は「アメリカの戦争に巻き込まれる」という。確かにそのリスクが全くないと言えば嘘になるだろう。
しかし、日本が集団的自衛権の行使容認に踏み切って日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定した場合、日本に行使義務が発生すると考えられるのは、原則として米国が自国領土の攻撃を受けた場合だけとなるはずだ。現在の米国による日本防衛義務と同じだ。「9.11」同時多発テロ後のイラク戦争などは明らかに「報復」であり、たとえ米国が「防衛の一環だ」と主張しても、日本は「過剰防衛だ」として拒否する余地は十分にある。例えばアフガニスタンには米国に呼応して派兵したドイツも、イラクには大量破壊兵器の存在根拠が曖昧だとして派兵しなかった。現行法では、防衛出動には原則として国会の承認が必要であり、政府が勝手に派兵できるわけでもない。
また、PKO(国連平和維持活動)や多国籍軍への派兵は、集団的自衛権の問題ではなく、集団安全保障という別の枠組みの問題だ。

もし日本が「アメリカの戦争に巻き込まれたくない」というのなら、日本が中国に尖閣諸島を占拠されても米国を頼みにすることはできないということになる(実際には米国は「米軍は尖閣を防衛する」と明言してはいるが)。なぜなら尖閣問題は日中間の領土紛争であり、米国の領土防衛とは無関係だからだ。「日本が米国の戦争に巻き込まれるのは御免だが、アメリカは日本の戦争に巻き込まれてくれ」という厚かましい要求は、日米安全保障条約の規定上はあり得ても、果たしてまともな独立国家として通用する理屈だろうか?

双務的な同盟関係を日本に求める米国

戦後の占領期や復興期ならいざ知らず、日本は世界第2、第3の経済大国になって久しい。世界における米国の軍事的経済的プレゼンスが相対的に小さくなりつつある今、深刻な財政問題を抱える米国は「世界の警官」としての役割を縮小させていき、日本に対してはより双務的な同盟関係を求めているのはむしろ自然な成り行きだ。
もちろんその場合、日本にとっては沖縄をはじめとする米軍基地の縮小・撤退や、不平等な地位協定と米軍駐留経費の一部を肩代わりする「思いやり予算」の解消などとセットでなければならないことは、言うまでもない。

こうした米国の軍事戦略の変化や中国の経済的軍事的台頭という、日本にはコントロールできない外部環境の変化に対し、米国との集団的自衛権行使を日本が拒否するということは、日本が中国に対抗しうるだけの軍事力を自力で増強することとセットでなければ理屈が通らないし、そうでなければ日本の安全は確保できないだろう。米国が日本から撤退すれば中国の思う壷だろう。尖閣のみならず、沖縄、台湾まで軍事侵攻をためらわないかもしれない。日本国民と日本政府に、GDPの伸びを上回る軍備拡張と海洋進出を続ける中国と独力で対峙する覚悟と実力があるとはとても思えない。

非武装中立論に通じる「外交で」

この矛盾点について、丹羽氏らのリベラル派はいつも「外交で」と詭弁を弄する。しかし世界の現実をみれば、残念ながら軍事力や経済力を背景としない外交など存在しない。経済力も中国に抜かれ、残念ながらその差は開く一方だ。かつて日本外交の切り札的存在であったODA(国際開発援助)ももはや中国には通用しないし、日本の援助外交を支えてきた土台(経済力)もぐらついている。ましてや、伝統的にしたたかで外交的な駆け引きに長けていると言われる英国や中国などと違い、外交下手の日本の政治家や外交官や官僚に特別な外交手腕があると期待することはもっと虚しい。「外交で」などと簡単に口にするのは、「外交力」とは何かを全く理解していないだけでなく、真面目に考えようともしていない無責任な夢想家でないと、とても口にできないような類いの戯言である。世界は残念ながら、性善説で動いているユートピアではないのだ。謀略と蝶略の限りを尽くして前政権を歴史から抹殺するような歴史を繰り返しているような前近代的な国々や核を持った危険な軍事独裁政権が、日本の周囲にはいまだにゴロゴロしている。これが冷厳な現実なのだ。
「力の均衡」という世界の現実を無視し、外交力やソフトパワーだけを頼みにせよ、という左派の詭弁は、旧社会党が唱えていた「非武装中立論」の空念仏と一体何が違うというのだろうか。
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