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「民意」は万能か

Posted by fukutyonzoku on 20.2015 政治・経済 0 comments 0 trackback


民放のバラエティ番組で、あるタレントが、国の政策決定の在り方について「全部国民投票で決めればいい」と言っていた。今回の安保関連法案の「強行採決」とメディア報道を受けて、この意見に賛成する人は少なくないだろう。事実、出版社に勤める私の友人も以前、似たようなことを言っていた。

議会制度の否定

「全部国民投票で決めればいい」の「全部」という意味が「全ての法案」とすれば、立法府はいらないことになる。つまり、議会制度の否定であり、国会議員不要論ということになる。
この意見に対しては、「国政を素人の人気投票で決めるのか」という批判が予想されよう。素人の「民意」と言うのは彷徨いやすく、無責任な面があるのは否定しがたい事実だ。政策がその時々の「風」やムードによってコロコロ変わったり、部分最適の集積が必ずしも全体最適とはならず、政策全体の整合性が取れなくなるリスクが高まる。つまり、財政や国防といった国の根幹が破綻するリスクである。
このことは、世界的にも常識的な政治論、ガバナンス論だ。だからこそ世界中で議会制度と官僚機構が採用されているのだ。政策知識を持つ専門家集団である官僚と、その専門的知見と民意との調整を図る議員に政策決定を委ねるのがよいという伝統的な考え方には、相当な合理性があると認めるべきだろう。

「衆知」か「専門知」か

「民意」というのは民主主義社会においては最大限尊重されるべきものであることは論を待たないが、それは唯一の絶対的基準とまでは言えないだろう。議員(政治家)や官僚機構が積み上げてきた政策的専門的知見という「レガシー」もまた最大限に尊重されるべきものだ。つまり、衆知は大事だが専門知も軽んずるべきではないということだ。政権が、時には「移ろいやすい時々の民意」に反した政策を決めても、必ずしも悪政とは即断でないのは、このような考え方があるからだ。

政治にしかできない仕事とは

国会デモで東大生、樺美智子の圧死まで出た60年安保闘争で、岸信介政権は結果的に倒れたが、60年安保改定は今では「米国に日本を守る義務を負わせたことで、不平等性を大きく改善させた」と、殆どの専門家、識者は評価している。似たような実例が歴史上も
少なくない。民主主義、「民意を尊重すること」と言い換えてもいいが、これは短絡的で無責任でムードに流されやすく、長い目でみて国益や国民の福祉を害するリスクを高めるという欠点がある。その欠点を補うのが専門家集団の官僚機構と代議士制度だ。一方で専門家集団は独善に陥りやすいという欠点がある。
大事なのは「衆知」と「専門知」とのバランスをどう上手にとり、双方の利点を生かして欠点を補えるか、ということだ。その舵取りができるのは、現状で考え得る制度としては議会制度しかない。つまり、政治にしかできない仕事なのだ。

国民投票は「強行採決」の究極形?

民主主義国における時々の政権与党は、選挙によって大きな民意によって国政運営を負託されているのだから、本来その調整と最終的な政策決定を自らの責任で行うべきだ。国民投票は、国の行く末を大きく左右するような重要政策について、その政治的調整が行き詰った場合の最終手段として例外的に行うべきものだろう。
結局のところ、国民投票をしたところで、多数決による評決である点において、議会の採決と何ら違いはない。仮に国民投票の採決の結果が51対49で決したとすれば、「民意」の49%を無視することとなり、議会でよく野党が批判する「強行採決」の究極形となる可能性さえある。しかも国民投票で重要政策を決定することは、本来政権が負うべき政治的責任を曖昧にするというマイナス面があることも忘れてはいけない。
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