
都知事選の告示後に週刊誌が鳥越俊太郎候補の「女子大生淫行」疑惑を競って書きたてた。便乗して騒いでいる人たちが少なからずいるが、論理を超えた感情的な左派嫌いか、もてない男の「妬み」にしか見えず、はっきり言ってみっともない。
最初に断っておくが、私は都知事選で鳥越氏を支持しているわけではないので、ことさら彼を擁護するつもりはない。日本の現職総理大臣の女性スキャンダルを日本の主要メディアで初めて書き、宇野宗佑首相を辞任に追い込んだのは、当時鳥越氏が編集長を務めていた「サンデー毎日」だ。彼はこの記事によって名を上げ、TVキャスターに転身した。その意味では、まさに「因果応報」だとさえ思っている。
今回の選挙に関しても、はっきり言って野党連合という枠組み自体を支持していないし、政策も明確でない。発言は左に寄り過ぎているし、そもそも支離滅裂だ。年齢や健康面の不安も大きい。
それでもこの週刊誌の「淫行」疑惑は選挙期間中に出すべき報道ではないし、こんな卑劣な選挙妨害によって有権者の投票行動が左右されるべきでもないと思っている。
『週刊文春』と『週刊新潮』の報道内容を総合すれば、相手の女子大生は、鳥越氏からメール等で「好きだ」としつこく言い寄られ、2人で食事をし、鳥越のマンションにまでついて行っている。マンションの部屋ではキスを許している。
彼女には当時、今は夫になっている若い彼氏もいたという。「信じていたのに、裏切られた」「軽率だった」というなら、その時点で連絡を断てたはずだ。
ところが、そういうことがあった後に、彼女は河口湖の鳥越の別荘に1人でついて行ったという。彼女は「寝室は別々のつもりだった」と釈明しているので、当然「お泊り」前提で出掛けているわけだ。仕事で男性上司とたまたま2人で出張させられ、同じホテルに宿泊する羽目になったのとは訳が違う。結局、「一緒に寝よう」という鳥越の誘いにも同意し、寝室を供にしている。そこまで自分の意思で行動を共にしながら、「淫らな行為を強要された」「強引に裸にされた」と事後に騒ぎ立てるのは、社会通念上、通用する言い分ではない。男女のことを何も知らない小学生でもあるまいし。
もし、鳥越の「不倫」(性交にまで至らなかったのなら「不倫」というのも微妙だが)が道徳的に問題だというなら、その女子大生も鳥越に妻子があることを知りながらデートを重ね、別荘にまでついていっているのだから、完全に同罪だ。告発する資格はない。また、彼女は大学で鳥越の教え子というわけでもなかったようだから、優位な立場を利用したセクハラでもない。18歳未満でもなく、さらには性交もしていないというのだから、二重の意味で(「淫行条例」でいうところの法律的な意味での)「淫行」ではない。
「妻子がありながら40歳も年下の若い女に手を出そうとしたのが倫理的に問題だ」というなら、それは個々人の倫理観の問題に過ぎず、そういう「お盛んな」老人が好きか嫌いか、知事として相応しいかどうか、という主観的な問題でしかない。個人的には「モテ男」に対するつまらない嫉妬でしかないと思う。古今東西、年の差婚や老いらくの恋なんて珍しくもなんともない。唯一の被害者は、こんな形で選挙を妨害された鳥越本人と、それ以上に夫や父親の女性問題を世間に晒された彼の妻子だろう。
そう考えたら、この「女子大生淫行」疑惑は、メディアが公益上報道すべき社会的な「問題」なのかどうか、さっぱり訳がわからなくなる。
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政治家の評価と私生活の問題を切り離す欧米の政治文化欧米では、政治家の不倫問題は「私生活上の問題」として政治家の資質や評価とは切り離して考えるのが常識だ。特にフランスなどは、良し悪しはともかく、ジスカール=デスタン、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドの歴代大統領にはみな愛人がいた。最近のサルコジやオランドのケースはかつてよりメディアも報道するようになったが、それは主に公金支出や安全保障上の問題に発展した場合であり、単に倫理観や道徳の問題として国民的バッシングが起こったり、辞任した大統領は一人もいない。
それは、ナポレオンの時代から「英雄色を好む」ことが、文化的に許容されているからではないか。実際の社会は乱れ切っているのに、なぜか「公人」にだけは厳格で偏狭な倫理観を(週刊誌メディアが)振りかざす日本と違って、男女関係に積極的なことや人生を楽しむ姿勢は基本的に大切なことだというコモンセンスが共有されているからだろう。公職にある物にもプライベートはあり、仕事に支障がない限り詮索すべきではないという「大人」の分別だ。
ただし、イタリアのベルルスコーニ元首相の場合は、乱行パーティー疑惑などの性的スキャンダルのみならず、数々の差別的失言や汚職疑惑まで露見し、未成年の少女買春で起訴までされた。そのため支持率は急落し、経済不振への責任問題とも相まって辞任に追い込まれた。これはあまりに品行がグロテスクだったという例外的ケースだ。
米国でもクリントン大統領のホワイトハウス研修生との「不適切な関係」が問題になったが、辞任まではしていない。マリリン・モンローとの不倫関係が現在では明らかになっているJ.F.ケネディーもクリントンと同様、歴代大統領の中で高い評価を受けている。このことは、米国でも政治リーダーの評価と女性問題は基本的に切り離されて考えられているということだろう。
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