加計学園の獣医学部新設をめぐる国家戦略特区の不透明な選定プロセスの問題が燻り続けている。政策的な焦点の一つとして、大学の新規参入を規制している文科省告示がある。この問題をどう考えたらいいのだろうか。
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私大新設を増やし過ぎた文科省の罪 日本の4年制大学の数 は、1991年の大学設置基準の大幅緩和の影響もあり、1985年の460校から2010年には778校と、25年間で300校以上(69%)も増えた(それ以降はほぼ横ばい)。その大半は短大が4年制大学に組織替えしたものだが、既存大学の学部学科新設も相次いだ。この結果、大学生数は同じ期間に185万人から289万人と100万人以上(56%)増えている。
一方、19~22歳の学齢期人口は少子化の影響により1993年の約816万人をピークに減り続け、2009年には約513万人と約300万人も減っている。このため、85年には25%前後だった大学進学率は09年に50%を超え、現在は約55%だ。
一方で数年前、下村博文前文科相が「日本の大学進学率は欧米に比べてまだ低い」と国会で訴えたこともある。
これは、下村前文科相が「だからもっと大学を増やそう」と言いたかったのか、あるいは、これまで文科省が規制緩和で私大新設を認め過ぎてきた結果、私大の定員割れや倒産が相次いでいるため、その批判に対する釈明か、どちらかだろう。しかし、いずれにしてもこれはデータの取り方が間違っていたのだ。
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「日本の大学進学率は低いは本当か」 に詳しいので、詳細はそちらに譲るが、このキャンペーンに使われた
文科省の「大学進学率の国際比較(OECD Education at a glance 2012)」というプレゼン資料 によれば、日本の大学進学率は51%でOECD平均の62%よりも11%ポイントも低く、豪州、米国、韓国、北欧諸国などより20%ポイント以上も低いことになっている。
ところが、このOECDデータは、各国で基準がバラバラ。一般の大学と専門・職業学校を制度的に区別していない国が多く、英語圏の大学は留学生も多いが、それも含めているのだ。だから、オーストラリアは100%近くというあり得ない「大学進学率」になっている。
専門学校を含めたデータで、さらに留学生を除外して比較 すれば、日本の進学率は8割近くに達し、国際的にも上位になる。さらに、日本は社会人学生や通信制などの「パートタイム」学生が少ないので、フルタイム学生だけなら世界トップクラスになる。
つまり、事実は、日本の大学数や学生数は、社会人学生や留学生を除けば既に飽和状態にあるということだ。これ以上進学率が高まることは考えにくい。既に私大の半数近くが定員割れの状態であり、大学の経営破綻ラッシュが本格化するのはこれからだ。
大学の需給全体からいえるのは、私立大学は政策的に作りすぎたのだ。学部・学科の偏在の調整は必要だとしても、全体としてはこれ以上の私大新設や定員増をストップしないと大変なことになるのは明らかだ。
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大学への公的補助率はOECD最下位 ところが、世界トップレベルの大学数、学生数にもかかわらず、日本の公的教育予算、なかでも
大学への公的補助水準(GDP比) は永らくOECD加盟33カ国で最低のままだ。しかも、下のグラフを見れば一目瞭然だが、断トツの最下位だ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/031/siryo/__icsFiles/afieldfile/2010/04/22/1292935_2.pdf 欧州の大学はほとんどが国公立で、公的補助率はEU平均で75%と高い。ドイツやフランス、北欧諸国をはじめ、自国民やEU域内国民は授業料無料の国も少なくない。日本は大学への公的補助が主要国の中で最も少ない国なのだ。それだけ学生(の親)の私費負担が重い国なのである。
データは少し古いが、
日米英の大学の収入構造 を比較すると、
日本の国立大の経常的収益の約4割は国の補助金 で、EUはもちろん約5割の米州立大さえ下回っている。しかも、日本の国立大は全体の21%しかない(75%は私立大)のに対し、米国は71%が州立大だ。私立だけ比べても、日本の公的補助率は約9%なのに対し米国は約16%と日本より手厚い。英国の大学はほとんどが国立(王立)だが、収入の6割強が公的補助だ。
実は、米英日の大学授業料は世界的にも高いことで有名だが、その3カ国で比べてみても、日本の大学への補助金がいかに少ないかがよくわかる。
しかも、私立大学が90年代から急増した間も私学助成金総額はほとんど増えておらず、過去10年ほどはむしろ漸減傾向にある。このため、
公的補助率も1980年の3割近くから低下し続け、今では10%を割り込んでいる 。
要するに、大学1校当たりや学生1人当たりの補助金額が減り続けているということだ。
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大学の淘汰が本格化する「2018年問題」 しかも、来年からは18歳人口が再び減少に転じる大学「2018年問題」が始まる。18歳人口は、1992年の205万人をピークに減り続け、ここ数年は120万人程度で推移していたものの、18年からは再び減少に転じ、31年には100万人を割って99万人に落ち込むと予測されている。
その萌芽は既に表れている。
13年には、元アイドルの酒井法子さんの入学で話題を集めながら経営悪化に陥った創造学園大学などを傘下に持つ学校法人「堀越学園」(群馬県高崎市)に対し、文科省から初めて解散命令が出された。
充足率が全国最低の愛国学園大学は、収容定員400人に対し学生数は85人で充足率は21.25%。充足率が下から2番目(31.33%)の苫小牧駒澤大学では、2015年度の入学者数は32人で、入学定員150人を大きく下回る惨状だった。
06年には、会計書類を改ざんし、国の私学助成金を不正受給したとして東北文化大学元理事長が、補助金適正化法違反罪などで有罪判決を受け、同大学は大学として初めて民事再生法適用申請に追い込まれた。
この問題を契機に、大学破たん処理のあり方が本格的に議論され、解散命令以外に役員解任勧告などが盛り込まれた改正私立学校法が成立した。私立大学は完全に淘汰の時代に入っており、それはこれから本格化するのだ。
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大学の設置基準緩和が招いた質劣化と学費高騰、財政悪化 特区諮問会議の民間議員や安倍首相らの論理によれば、民間企業への規制緩和と同じ論理で大学や教育機関も設置基準を緩和ないし撤廃して競争を促せば、サービス競争が起こり、料金低下やサービスの質向上につながり、消費者利益や経済活性化になるという。阿呆な民間議員は、大学には憲法で保障された「営業(開業)の自由」があるとも言っている。
通常の民間企業活動ならともかく、そもそも税金から補助金を受けている大学に「営業の自由」をどこまで認めるかは公益との兼ね合いで決めるべきものだし、憲法まで持ち出すのなら、国民の「教育を受ける権利」はどうなるのだ。
過去数十年間に国がやってきたことは、補助金を増やさずに私大の数や定員を増やしてきた。この結果、大学生一人当たりの補助金額は減り続けている。大学は選ばなければ誰でも入れるようになった一方、学費はデフレの中でも値上がりし、経済的なハードルはむしろ高まった。
文科省は20年以上にわたって大学の設置基準を緩め、大学数と定員枠を増やし、大学間の「競争を活性化」させてきた。その結果、諮問会議メンバーらが言うように、日本の大学は利用負担が安くなり、教育サービスの質向上が図られただろうか。さらに言えば、国民の教育水準の向上に繋がったのか。むしろ、その全ての要素について全く逆のことしか起こっていない。少なくとも、諮問会議がやろうとしている大学の設置基準緩和という形の規制緩和は、大学の質の劣化や国民のアクセス悪化、誘致自治体の財政悪化という逆効果しか生んでいない。大学のビジネス化が進み、怪しげな業者の美味しい儲け口となっているだけである。
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補助金をやめて全額奨学金に振り向ける改革案 池田信夫氏は、大学への補助金について、「農業がそうであるように補助金は産業を腐らせる」「大学教育は社会的には浪費だというのが、多くの実証研究の結論」と断じ、大学への一律の補助金を全廃し、学生への奨学金に切り替えるべきだと提言している 。
「補助金は産業を腐らせる」危険性は一般論としては確かにある。また、大学教員がいったん教授に昇格すると、あとはろくに論文を書かなくても身分が生涯保証されるという硬直的な人事への批判も理解できる。しかし、その原因が、「補助金産業」であることや、大学間競争が不十分なことに求めるべきなのかどうかは、定かではない。また、全ての補助金産業が腐ると断言するのもどうか。世界中の大学も農業も医療機関も主要なインフラ産業も国や地方政府から補助金を受けているが、全てが腐っているとは言えないだろう。もし補助金比率が高いほどその産業の腐る度合いも高くなるとするなら、主要国で最も補助金比率が低い日本の大学は、主要国で最も健全な大学であるはずだが、そうとは言い難い。つまり、補助金の有無や補助金額の大きさに「腐る」原因があるとは即断できない。
ただし、国が教育機関への補助金を廃止し、浮いた財源を全額学生個人への給付に振り向けるという制度は一考に値する。教育バウチャー(引換券)のような一律給付のやり方もあるが、それより親の所得や学業成績に応じて給付額や融資額に格差をつける米国型の奨学金制度の方がベターだろう。政策的な研究資金を除き、国の補助金は原則廃止とし、国立大は民営化、許認可による定員管理のようなこともやめる。原則として全ての大学は同じ条件で自由競争になるということだ(それでも地方自治体が地元の大学を残すため、補助することまで禁止するのは政治的に難しいのではないか)。
いずれにせよ、特区諮問会議の民間議員らが主張するように、もし大学の定員管理をやめて参入規制を撤廃し、自由競争にせよ、というなら、補助金や許認可を原則廃止し、公平な競争条件が確保されるような大学制度改革が先だろう。補助金制度や許認可制度を残したまま入り口(参入規制)だけを部分的に緩和するような中途半端な規制緩和を行えば、かえって競争条件を歪めることになる。
特区諮問会議の民間議員の中には「医学部、歯学部、獣医学部だけ新設・定員増申請を最初から門前払いにしているから、それはおかしい、根拠を示せと言っているだけだ」
「需要が伸びる見通しがあるので学校を作りたい、という申請者があるなら、少なくとも審査はすべき。門前払いの告示がおかしいと言っているだけ」
との反論もある。
この反論には一理あるが、一方でWGの議論で彼らが主張していた「獣医師の需給調整は国家試験でやればよい」「獣医教育を受けた者がいくら増えても国民は誰も困らない」という大学の定員管理そのものを否定する論理とは矛盾している。「審査しろ」ということは、文科省の定員管理を認めていることになるからだ。定員管理を否定する論理は、国費で大学に補助金を出している以上、通らない。
もし大学への補助金制度そのものを是とし、大学への補助金予算を他の先進国並みに大幅増額することも財政的に困難という現実の上に立つならば、極めて専門性が高く、かつ他学部より「金食い虫」である(財政負担の重い)医学部、歯学部、獣医学部のような学部は、特例的に新設申請を認めないとした文科省告示は、必ずしも合理性がないとは言えないだろう。しかも、畜産酪農業の衰退とともに行政獣医や産業獣医の需要は基本的には減り続けている。獣医師会も農水省もそう予測してきた。文科省が獣医学部学科の門戸を閉ざしてきたのはこの需要予測を前提とすれば自然なことだろう。想定外のペットブームが起きたのは確かだが、それは獣医学部学科の定員オーバーを黙認することで対応できた。そのペット獣医需要も08年をピークに減り始めている。
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