NHKスペシャル「戦国~激動の世界と日本~」
(2)「ジャパン・シルバーを獲得せよ 徳川家康×オランダ」を詳解します。
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英蘭と繋がった家康 英国人ウィリアム・アダムス(後の三浦按針)やオランダ人ヤン・ヨーステンらがオランダ船リーフデ号が日本に漂着したのが、関ヶ原の戦い半年前の1600年4月。リーフデ号には武器弾薬を大量に積み込んでいた。最新式の火縄銃500丁、弾丸5000発、火薬300Kg。これを家康が押収し、アダムスらを家臣に召抱えた。
関ヶ原の戦いでなぜ不利な布陣だった家康が勝てたのか。何カ月も続くと見られていた戦いがなぜわずか数時間で決着がついたのか。小早川秀秋の裏切りや毛利が家臣団の分裂で動けなかったこと等に西軍の敗因を求める説がこれまでは定説だったが、当時の平戸オランダ商館長が残した記録には「徳川軍が撃つ嵐のような弾丸。瞬く間に三成たちの軍は総崩れとなった」と記されている。つまり、単純に銃や火力の差が勝敗を分けたと分析しているのだ。
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「ジャパンシルバー」に目をつけたオランダ 当時、スペイン帝国は16世紀に支配した中南米で銀を採掘し、世界の8割の銀を独占していた。スペインからとの独立戦争を続けていたオランダはスペインの銀の独占を切り崩そうと、日本の銀に目をつけた。
家康は関ヶ原の戦いで勝利した後すぐに佐渡をはじめ全国の金銀山を直轄領とし、鉱山開発を加速。当時国内最大の銀山だった佐渡には5万人の労働者を送り、昼夜交代制で生産を拡大。佐渡の銀は純度も高く、「ジャパンシルバー」の生産量は世界の3分の1を占めるまでに拡大した。

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徳川vs豊臣はオランダvsスペインの代理戦争? オランダ商館は家康と交渉し、銀と引き換えに武器を売り渡す。スペイン帝国との独立戦争を戦っていたオランダは、兵器生産でも世界最先端に成長しつつあった。
スペインも家康と交渉し、銀と引き換えに南米で経験を積んだ鉱山技師の派遣などを約束したが、スペインはキリスト教布教とのセットが条件だった。

スペインは各地でキリスト教信者を増やし、キリシタンの反乱で政権を倒し、植民地化する手法で中南米やフィリピンを制服したことを安針やオランダ商館長らから聞きていた家康は、スペインではなく英蘭との同盟を選んだ。スペインとキリシタンを警戒した家康は、大坂の冬の陣の2年前(1612年)にキリシタン禁教令を発している。
家康から遠ざけられたキリシタン勢力とスペインは豊臣方についた。豊臣秀頼はスペインにキリスト教布教や教会建設の後押しを約束した。関ヶ原や大坂の陣は、徳川vs豊臣の戦いであると同時にオランダvsスペインの代理戦争でもあったのだ。
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日本人傭兵を使ってスペインと戦ったオランダ 驚くべきことに、当時の主要貿易品だった香辛料の最大生産地だった東南アジアはスペインが植民地化していたが、徳川家康が天下を取った後、オランダはスペインから植民地を奪う戦いを挑んだ。オランダは家康の協力を得て、日本から不要になった大量の武器や日本人傭兵まで送り込んた。日本人傭兵はモルッカ諸島(インドネシア)のスペイン要塞攻略戦などで大活躍したという。

さらには、その後オランダはスペインからの独立戦争の後半戦となる三十年戦争(1618~48年)に突入するが、ここで使われた銅製の大砲には、日本産の銅が使われていたことが、最近オランダで行われた成分分析で明らかになったという。
オランダは徳川家康と同盟を結んだことで、経済面でも軍事面でもスペインを凌駕することができたとも言えるという。
「この時代、日本とヨーロッパが繋がったことで、ある現象が起こった。それは、新たに出現したグローバル経済を最も効率的に利用したものが勝利を手にしたということだ。戦国時代の日本はまさに世界史の最前線だった」(ケネス・ポメランツ米シカゴ大教授)。
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