「日本の総病床数は世界一で看護師数も多いはずなのに、米国の100分の1の感染者が出たくらいでもう医療崩壊か」との意見をよく見かける。「感染者数が春の第一波を少し超えたぐらいでもう医療非常事態宣言か」と。「政府と医療界、感染症ムラは夏以降の約半年間も時間的猶予をもらいながら、ろくに医療体制の増強もできていないじゃないか。一体何をやっていたのか」と。
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「病床数世界一」は誤解 結果だけ見ればその通りかもしれないが、実際には日本の医療界はコロナ禍前から崩壊寸前で、コロナ禍で息の根を止められただけだと思う。半年で立て直すのは土台無理な相談だ。「病床数世界一」と言うが、それは「空き病床数世界一」と同義ではない。もし民間病院が多い日本の病院が空きベッドだらけなら、多くは倒産しているはずだ。
公表データを仔細に確認すればわかるが、日本の「人口当たりの総病床数は世界一」という評価は多分に誤解がある。よく引用される総病床数の国際比較では、日本だけが精神病床を含んでいる(日本の精神病棟は長期入院が多く、それはそれで問題だが)し、人口1,000人当たりの急性期病床とリハビリ病床の合計では日本は世界トップのドイツよりやや少ない。日本は急性期病床数は多いが、リハビリ病床は極めて少ないからだ。




また、日本の平均病床利用率は高い方だ。少し古いデータ(05年)だが、日本の病床利用率は79%で、OECD平均の75%、米国の67%を上回っている。当時より今は病床数を政策的に減らし、逆に高齢化は進んでいるので、利用率はさらに高まっている可能性が高い。
つまり、病床数が世界トップとは言っても、空きベッドが多いわけではない。恐らく入院患者数が世界一多いからだ。これは、世界一の高齢化率に加えて、平均入院日数が断トツに長いためだろう。日本の平均入院日数の長さ、つまりは「社会的入院」の多さは随分前から医療財政面で問題視され、政府も長期入院の診療報酬を引き下げるなどして減らそうとしてきた。実際、緩やかに減ってはきているが、諸外国と比べれば依然として入院日数は断トツに長い。
https://www.jmari.med.or.jp/download/WP407.pdfhttps://www.amdd.jp/trend/comparison/nichibei08.html

この根本原因は、恐らく日本にはリハビリ専門施設は皆無で、公的な(つまり割安の)医療ケア付き老人介護施設や充実した在宅ケアサービスが需要に対して圧倒的に不足しているためだろう。62歳以上人口1000人当たりの長期居住型病床数(日本は介護老人福祉・保健施設)は、オランダ74、スウェーデン66、ドイツ54、フランス53、豪州52、カナダ48、英国47、米国36に対し、日本は24とOECD最低水準だ。本当はリハビリ施設や医療ケア付き介護施設、充実した在宅ケアサービス体制などの受け皿さえあれば急性期病院から退院させられる高齢者も、施設か在宅かを問わず受け皿が圧倒的に不足しているため、退院させるにさせられないケースが多いのだと想像される。つまり、日本では本来は介護分野で担うべき長期ケアを医療が担わされているケースが多いのだ。
その結果、日本では圧倒的に病院での寝たきりや「寝かせきり」の高齢者が多くなる。ちなみに北欧などでは手術や治療が終われば年齢を問わずすぐに退院させ、必要ならリバビリ施設や介護施設に転院させるため、寝たきり患者は皆無だ。

それでも感染者の少ない地方の病床には空きがそれなりにあるかもしれない。とはいえ、重症患者や中等症患者を隣県に運ぶことは実際には困難なはずだ。移動途中に容体が急変したらどうするんだ、ということ。軽症者ならホテルや自宅待機でいいわけだし。やはり、救急専門医や感染症専門医、さらにICU対応の経験豊富な看護師を感染拡大している都市に派遣する必要があるだろう。しかし、感染者数の少ない地域の医師や看護師は必然的に新型コロナの経験が少ないということでもあり、必然的に派遣できる人材は限られてくる。限られた人材を他所へ派遣すれば、いざという時に自分のところのICUが機能不全に陥るリスクがあるので、大都市から派遣要請があってもそう簡単には派遣できない。
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医療崩壊の原因は医師・看護師不足 本当の問題は病床数ではなく、日本は高齢化による世界一の医療需要に対して医療スタッフの数が極めて少ないことに尽きる。人口1000人あたりの医師数はドイツが4.3人、スウェーデン4.1人、イタリア4.0人、スペイン3.9人、OECD平均3.5人に対し、日本は2.4人しかない。日本は病院の数は多いのに外来はどこへ行ってもうんざりするほど待たされる根本原因は、無駄な受診や長期入院が多いこともあるが、医療需要に対して医師の絶対数が不足しているからだろう。


なかでもコロナに対応する感染症専門医などは全国に約1500人しかいない。
https://jmsb.or.jp/wp-content/uploads/2020/01/gaiho_2019.pdf 日本感染症学会は病院勤務の感染症専門医は3000~4000人が必要だと指摘している。
https://www.kansensho.or.jp/modules/senmoni/index.php?content_id=5 看護師数も人口当たりでは多い方だが、患者数に対しては少ない。2017年の病床100床あたり臨床看護職員数は、米国428、カナダ395、英国309、フランス175、ドイツ162だが、日本は87と断トツに少ない。

日本は、外来患者の一人当たり受診回数も主要国トップレベルに多く、患者(入院+外来)の多さから見て看護師数はかなり不足していると言える。各国の1人当たり受診回数と1回当たり外来医療費には負の相関関係があり、日本は医療費の窓口負担が安いため受診回数が多い、つまり気軽に病院にかかる傾向がある。いわゆる「ドクターショッピング」の多さだ。これは随分前から日本の医療財政の逼迫要因として指摘されていたが、高齢者の窓口負担のアップには強い政治的な抵抗がある。今回ようやく年収200万円以上の後期高齢者(75歳以上)に限り窓口負担を1割から2割に引き上げることが決まったが、この程度では効率化は見込めないとの見方が多い。

いずれにしても、特に新型コロナへの対応は院内感染リスクが高いため防護服を装着する必要があり、院内クラスターを防ぐためには何重もの防護措置も必要になる。重症患者への対応は普段の何倍もの医師・看護スタッフの人出がかかると言われている。コロナ禍に対しては医療人員不足は致命的なのだ。
◾️人口当たりICU病棟は米独の半分
さらには重症患者への対応に必要なICU(集中治療室)病床は、狭義のICUでは主要国最低。ハイユニットケア病床を含む広義でも人口比で米独の半分以下だ。

ICU病棟に不可欠な人工呼吸器やECMO(体外式膜型人工肺)も第一波の際は世界中で取り合いになった。今は十分な機器が国内に行き渡ったかどうかは不明だが、ICU病棟は街のクリニックでは作れないし、大病院でも設備さえ増やせば自動的に増えるものでもない。扱いを熟知した医療スタッフを増やす必要がある。しかし、ICUの経験と技術を持った専門医や看護師は急には増やせない。また、ただでさえ少ない医師や看護師が多くの病院に分散しており、それぞれギリギリの人手の中で働いているため、多少の手当がついたとしてもコロナ患者に対応している指定感染症病院だけに派遣することにも限界があるとみられる。日本の場合は欧州と違って民間経営病院・クリニックが多いこともあって国の強制力が弱く、横の連携がいいとは言えない。ましてや、日本はワンオペの開業医が多いので、自分のクリニックを休業してコロナ応援に駆けつけるのは、よほど手厚い休業補償でもない限りハードルは高い。休業中に自分の患者が他所へ逃げてしまい、再開しても戻ってきてくれないリスクもあるからだ。
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2020/PA03380_01◾️
10年以上前から始まっていた日本の医療崩壊 日本の医療現場の人手不足は10年以上も前からずっと指摘され続けてきた構造問題だ。日本の医療の危機的状況は当時よりさらに進んでいる。それなのに医学部定員はほとんど増えておらず、国も医療費削減を進めるばかりで、感染症に対峙する保健行政でも保健所定員や予算を削り続けてきた。
日本はこれまでSARSやMERS、新型インフルで大きなパンデミックにならずに済んできた。これは単に幸運だっただけだが、このことがパンデミックへの準備を怠る結果に繋がったとの専門家の指摘は少なくない。
合理化、効率化の遅れと医師・看護師不足により崩壊寸前だった医療体制の脆弱さ、なかでもICUを中心とする救命救急医療体制の貧弱さに加えて、パンデミックへの備えを政策的に削ってきたツケがコロナ禍によって一気に顕在化しただけ、とみるのが妥当ではないかと思う。
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