日本の賃金が上がらない原因について、多くのエコノミストは「生産性の低さ」を指摘する。もちろん最終的にはそこに行き着くと思うが、それ以前の問題として、労働市場の流動性を高め、労働移動を活性化しない限り、賃金も生産性も上がらず、日本経済は永久に復活しないのではないかと感じている。
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制度疲労の日本的企業統治システム そのためには、まずは新卒一括採用、終身雇用、年功序列賃金、退職金やボーナス賃金制度、企業内労働組合、株式の持ち合いといった世界的にも特殊な日本的企業統治システムを強制的に破壊する必要があるのではないか。これらの伝統的な日本的企業統治システムは、企業が労働者の長期雇用を約束する代わりに労働市場やM&A市場を機能不全に陥らせている。終身雇用や年功序列、退職金制度などは要するに賃金の後払いによる労働者の囲い込みであり、労働移動を阻害。ボーナスは業績悪化時の賃金バッファーであり、株式持ち合いはM&Aをしにくくする財界のいわば“談合”である。要するに全て労働者を犠牲にして企業経者を楽にする制度だ。
それでもほとんどの企業の業績が伸びていた右肩上がりで労組も強かった時代なら、賃上げを伴いつつ終身雇用が約束され、労働者の不満も少なかったが、今では終身雇用は保証されなくなり、非正規雇用の制度的拡大や労組の弱体化によって賃上げ圧力も弱まった。だから史上最高益を更新している企業が多いのに投資も賃金も増やさず、内部留保を溜め込んで「守り」を優先する企業が増えた。発展途上国型の企業保護的なシステムが制度疲労を起こしているのだ。
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壊れた賃上げメカニズム 米国では、コロナ禍の人手不足やロシアのウクライナ侵攻による急激なインフレが直ちに賃金アップに反映され、消費拡大が続いている。NYではバイト時給でさえ20㌦強(約3000円)に上昇しているそうだ。賃金には市場メカニズムが即座に働くのがアメリカだ。
一方、日本はマクロ企業収益がこれまで何度も過去最高益を更新しており、内部留保も年々増えているうえに、慢性的な人手不足の分野が増えているのに、なぜか賃金は一向に上がらない。これは賃金相場に市場メカニズムが働いていないうえに、労組は雇用維持を優先して賃上げ圧力が弱く、賃上げのメカニズムが壊れているとしか考えられない。
そこで、企業統治システムの壊し方が問題となるが、一つの道が米国型の市場原理に全て委ねる方法。しかし、これは所得格差が拡大する弱点がある。均質性を好み格差を嫌う日本人のメンタリティーには合わないかもしれない。そこで「第3の道」がスウェーデン型の積極的労働市場政策(レーン=メイドナー・モデル)。
今年の年初にNHK-BS1スペシャル「欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマを越えて」 でも紹介されていたが、最近読んだ日本総研の4研究者による共著「北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか」(日本経済新聞出版社)に詳しい。

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労組組織率より重要な労働協約カバー率 スウェーデンをはじめ北欧の賃金水準は世界トップクラスで、伸び率もG7各国を上回っているが、労組の組織率も最近は低下傾向とはいえ依然65%もある。それ以上に重要なのは、労使協約のカバー率が9割を超えていることだ。フランスなども労組組織率は8%程度と米国以上に低いが、労使協約のカバー率は9割を超えている。



労使協約とは、労組のない企業でも労働者の過半数が合意すれば、その代表者と使用者側が団体交渉し締結できる労働契約。大抵の場合、同じ業界内の産別労組と経営者団体が締結した労働条件や賃金にならうため、労組を結成したのと同様の効果がある。もちろん、労働者は労使協約には参加せず、企業と個別に労働契約を結ぶこともできる。日本は労組の組織率が17%、労使協約のカバー率はさらに低い。
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解雇を妨げないスウェーデンの労働法 スウェーデンの労組や労働法が日本と決定的に違うのは、業績悪化した企業の整理解雇を妨げないことだ。むしろ、セクター別の産別労組と経営者団体による賃上げ交渉は、業界内の平均的企業がギリギリ支払える高いレベル(連帯的賃金)に引き上げ、平均以下の企業には整理解雇を含む合理化か倒産を迫っている。
なお、日本人には勘違いしている人が多いが、企業が従業員を解雇しやすくなれば、労働者は解雇されやすくなる代わりに再就職はしやすくなることを見落としがちだ。解雇規制が緩ければ労働市場は常に活発に動いているので求人と求職の双方にマッチングの機会や選択肢が増え、企業は「ハズレ人材」を解雇しやすいので雇う際のリスクは低くなり、雇いやすくなるからだ。
スウェーデンでは常に企業は賃上げ圧力を受け、生産性の低い企業は合理化または淘汰され、労働者は高成長企業・産業への移動が図られる。スウェーデンのような小国にはマクロの国際競争力を維持するためにも、流動性の高い労働市場と産業構造の高度化が不可欠、とのコンセンサスが労使双方で共有されているという。日本のような護送船団方式や雇用維持優先とは真逆の哲学だ。その代わり、不況期には若年層を中心に失業率は一時的に高くなるが、労働移動をスムーズに行うことにより、回復も早い。

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生産性の低い企業を淘汰し労働移動を促す政策 もちろん政府は、労働移動をスムーズにするための失業保険や職業訓練、リカレント教育などの充実した支援を提供。モラルハザードが起きないよう常に見直しも図られている。企業は整理解雇が比較的自由な半面、解雇した従業員の再就職支援に責任を持つ仕組みになっている。
労使の賃金決定ルールや解雇の自由化、労働市場の流動化を進めない限り、好景気でも賃金は上がらず、賃金が上がらなければ個人消費が6割を占めるGDPは拡大せず、金融緩和をいくら続けても消費者物価の自律的な上昇は続かない。また日本のように企業を守ってばかりいては、生産性の低いゾンビ企業が淘汰されず、産業構造の高度化は進まず、マクロの生産性も上がらない。日本は労働市場政策でも北欧に学ぶべき点が多いのではないか。
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