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【ネタバレ注意】「ボヘミアン・ラプソディ」はアリか

Posted by fukutyonzoku on 26.2018 映画 0 comments 0 trackback


話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」をクリスマスに観た。英国発の世界的人気ロックバンド「Queen」の自伝的映画だが、実話とは少し違うらしいと事前に小耳に挟んでいた。だが、それ以上の予備知識は入れず、純粋に映画作品として楽しもうと思っていた。そのお陰もあってか、素直に感動して泣けた。

主役はQueenのボーカル、フレディ・マーキュリーを演じた俳優ラミ・マレック。正直、本物のフレディにあまり似ているとは思わなかった。しかし、体はフレディそっくりに鍛え上げており、独特の訛りのある英語(世評では似ていたらしい)、フレディ自身がコンプレックスを持っていたという出っ歯を強調するために恐らく上歯と唇の間に詰め物、表情はそれほど似ていないが、ステージでの動き方もよく再現できていた。YouTubeで実際のライブエイドでのQueenのパフォーマンスと映画のライブエイドの場面を並べて比較した動画を偶然見つけたが、よくコピーできているのがわかる。
https://youtu.be/-XqPBEODZ4s

少し残念だったのは、フレディの目の色はマレック本来の青いまま。黒いカラーコンタクトをするだけで簡単に解決したはずなのに、なぜそれをしなかったのかが不思議だ。
もう一つ、Queenメンバー、中でもフレディは大の日本贔屓だった。それは最初にQueen人気に最初に火がついたが日本だったことがきっかけのようだが、フレディは美術学校でデザインを専攻していたこともあり、特に日本の美術に傾倒。お忍びで日本に来て京都や金沢、伊万里などを回って陶磁器や掛け軸、浮世絵などを買い集め、日本の骨董品については相当な目利きだったそうだ。自宅の庭も日本から庭師を呼んで日本庭園にしている。
Queenを早い時期から日本に紹介していた「ミュージック・ライフ」元編集長の東郷かおる子さんによると、Queenは日本からのオファーには極めて寛容だったらしく、そのせいで日本ではパロディー風の変なCMにも出演していたのだろう。映画では、部屋の装飾や部屋着など親日家ぶりをそれとなく匂わせるシーンも織り交ぜてあったものの、もう少し最初の武道館公演の熱狂ぶりやフレディの「日本愛」を描いてほしかったというのが、一日本人として少し残念だった部分だ。

映画を観た後に調べてみたが、やはり実話と違う点は多々あるようだ。私自身はそれほどのQueenファンではないが、同時進行でファンだった人たちにとってはQueenへの再評価を喜ぶ反面、利用され裏切れたような複雑な思いを抱いた人も少なくないようだ。予備知識をあまり持たずに映画を見ればドキュメンタリー映画に見え、知られざるQueenの内幕を理解したような気になるが、実際には実話と虚構が入り混じったドキュメンタリー的フィクションなのだ。
事実と異なる点は、デビューまでの経緯や登場人物の描写など細かい点もたくさんあるようだが、何よりストーリーの核となる部分に虚構や時系列の組み替えがある。
映画では、フレディがほかのメンバーを裏切り、400万㌦の契約金でグループから独立してソロ・アーティストとなったのを機にQueenは解散してしまう。しかし、ソロとなったフレディはアフリカ難民支援チャリティーコンサート「LIVE AID(ライブ・エイド)」の主催者からQueenに出演オファーがあったことをマネジャーが知らせなかったことに激怒。マネージャーをクビにして再びQueenのメンバーの元に戻る。この少し前にフレディは吐血し、密かに検査して自らのエイズ(HIV)感染を知る。フレディはメンバーに自らのエイズ感染を告白。再び「ファミリー」としての結束を取り戻し、Queenを「再結成」。フレディは喉の調子の悪さを押して1週間後のライブ・エイドに向けて練習を再開。そして、Queenは10万人の観客で埋め尽くされたウェンブリースタジアムの舞台に立ち、世界が絶賛した圧巻のパフォーマンスを披露する--。
今、こうして文字を書き起こすだけでも泣けてくるストーリーだ。

しかし、事実は違う。
クイーンには確かに解散の危機があったし、1982~83年には活動を一時休止し、メンバーがそれぞれソロ活動をしたり充電したりしていた。とはいえメンバーが一時的にも「脱退」したりQueenが「解散」したりした事実はない。また、ソロ活動を最初に始めたのはフレディではなく、ドラムスのロジャー・テイラーだ。
さらには、ライブ・エイドが開催されたのは1985年7月13日。実際にフレディが自身のエイズ感染を知ったのは86~87年頃だろうと推測されている。つまり、ライブ・エイドより後なのだ。
フレディがロンドンハーレー街の診療所でHIVの血液検査を受けたと初めてメディアに報道されたのは86年10月。その後もメディアには何度も「エイズ疑惑」を書き立てられたが、本人は否定し続けた。
フレディのパートナーだったジム・ハットンによると、フレディ本人は87年4月には感染を認識していたという。いずれにしてもライブエイド前にHIV感染をメンバーに告白した事実はないようだ。

また、映画ではフレディの「独立」後にQueenは解散し、しばらく疎遠になっていたメンバーが再結集。1週間の練習期間でライブ・エイドに臨む--というストーリーだが、実際にはQueenは83年後半からアルバム制作に入り、翌84年2月に「THE WORKS」をリリース。同年8月から欧州各国、ボツワナ、ブラジル、豪州、ニュージーランドなどを回るワールド・ツアーを開催。ライブ・エイド約2カ月前の85年5月には最終ツアー地の日本で演奏していた。つまり、ライブ・エイドは「Queenの再結成」でもなければ、久しぶりの演奏でもなかったのだ。
ただし、このワールドツアーは、詳細は割愛するが、さまざまなトラブルに見舞われ、商業的にも内容的にも「成功」からはほど遠く、メンバーがバラバラになりかけていたのは事実のようだ。あるメンバーは「ライブ・エイドがなかったら解散していたかもしれない」と語っている。Queenが「復活」を賭けてライブ・エイドの20分のパフォーマンスに全力を注いだことは嘘ではないのだ。公演後、フレディは「当時、Queenは過去のバンドと見られていた。過去のバンドではないことを15億人の前で証明したかった」とも語っていたという。
つまり、この映画は、事実と「事実に近い嘘」を巧みに組み合わせることで、クライマックスのライブ・エイド演奏をより劇的に仕立て上げる「演出」が施されているのである。

映画作品としてみれば、クイーンのヒットメドレーを堪能(映画に出てくる楽曲は全てクイーンのオリジナル音源)できるし、ヒューマンストーリーとしてもよくできている。特定できる個人を貶めるような描き方もしていないので、「あり」ではないかと思う。製作者や元Queenメンバー、関係者らは「全てが実話ではない」としながらも「だからといってフレディやクイーンの本質から外れているとも思わない」と異口同音に語っていることからも、当事者らが許容している演出であることがわかる。

シェークスピアや近松門左衛門の例をひくまでもなく、史実や先代作品に少し脚色を加え、その少しの翻案に天才的オリジナリティーを発揮するのが古今東西の名劇作家の真骨頂でもある。司馬遼太郎しかり。しかし、史実とは分ける必要がある。史実より影響力がある点で、ある意味罪深い。

巧妙な「演出」にまんまと嵌められ、泣かされた、といったところだろうか。

(参考記事)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フレディ・マーキュリー
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29421/1/1/1
https://torukuma.com/bohemian-difference/
https://chielabo.com/bohemian-rhapsody-true-story/
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181203-00552657-shincho-ent&p=1
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