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なぜいまだに仮設住宅から出られないのか

Posted by fukutyonzoku on 20.2015 公共政策 0 comments 0 trackback

4年前の大震災直後に訪れた宮城県石巻市の惨状。海岸沿いの住宅地は見る影もなかった

東日本大震災から早くも4年が過ぎた。今年も震災関連報道が一斉に報じられたが、被災者が置かれている現実の厳しさや、復興への道のりの遠さを改めて考えさせられた。
今更ながら、家族や大事な人達、仕事、家や財産、コミュニティー、故郷、大事な思い出…生活基盤のみならず、生きていく上で必要不可欠なものを一度に失ってしまった人々の喪失感、絶望感、心の傷の深さは想像を絶する。4年程度で取り戻せないのはむしろ当然だろう。
さらには復興の遅れによる過酷な日々が、深刻な2次災害を招いていることが浮き彫りになりつつある(注1)

4年経っても10万人が仮設住宅に

自殺や孤独死などの「災害関連死」は福島県だけで少なくとも千数百人に上っており、もともと居住限度2年で設計されている仮設住宅にいまだ10万人もの被災者が暮らしている。高気密、低断熱のプレハブ住宅によって結露によるカビの発生が酷いといい、特に子供たちやお年寄りの心身への悪影響は年々深刻になっているとの調査結果が少なくない。
仮設住宅の暮らしが長引いている原因として、高台移転をはじめとする復興計画に対する住民合意に予想外の時間がかかっていることや、福島浜通りでは福島第一原発の廃炉作業や除染が予想以上に困難で、時間がかかっているといったやむを得ない事情もあるだろう。
しかし、それならそれで、せめて当初の想定を超えて長期化している仮説住宅の被災者を、原則家賃無料で復興住宅や公営住宅に一時的にでも移して差し上げられないものかと痛切に思う。被災者には何ら瑕疵もない。自然災害で家を失ってしまった100%の被害者なのだから。

弱者保護の視点が欠落した日本の住宅ローン金融

本来、自然災害で家屋敷の保険が普通に適用されていないことがおかしいが、仮に規模の大きさから保険会社が免責されることを社会が容認するのなら、国や公共団体が補償しなければならない。それができないような国が果たして先進国や文化国家と呼べるだろうか。「二重ローン」を抱えて生活再建を迫られる現実には憤りさえ感じる。

米国でリーマンショックを招いたサブプライムローン問題でも話題になったが、欧米の住宅ローンでは、実質的なノンリコース(借主責任限定型)ローンが一般的となっている(注2)
ノンリコースローンは、もし地価や物件価格が下落して家の売却価格がローン残高を下回っても(いわゆるアンダーウォーター状態)、債務者は家を手放して債権者(金融機関)に明け渡しさえすれば、その残債を抱え続ける必要がない融資契約のこと。契約書にノンリコースローンと明記されていなくても、米国の金融機関は訴訟費用を含めて債権回収の費用対効果を考え、残債は債権放棄する例が多いという。「実質的なノンリコースローン」と記したのは、そういう意味だ。
これに対し、潰れそうになったら公的資金で政府に助けてもらってきた日本の銀行は、住宅ローン債務者は助けない。債務者がローンを払えなくなって担保権を執行して差し押さえし、売却して残債が残っても、債権放棄することはまずない。日本の住宅ローン金融制度は弱者保護の観点が欠落した、金融機関にとって「おいしい」商売なのだ。

貧弱な復興予算規模

70年前の戦争では、全国の都市という都市が焦土と化し、国民全体が等しく「被災者」となった。総力戦の結果、国家財政も破綻の危機にあり、とても国が国民を救えるような状態ではなかった。だから、国全体がゼロからの再出発、むしろマイナスからの経済復興に、挙国一致で向かうことができた。
ところが、今回の被災地は東北3県に集中。国の財政事情は厳しいながらも、民間には世界有数の潤沢な資力があり、国力は当時とは比べようもない。
戦前の朝鮮併合では、当時の政府が朝鮮統治のために割いた歳出規模は、国家予算全体の2割に上ったというから、一般会計だけを分母としても今なら年20兆円規模に達する。
大正時代の1923年の関東大震災で帝都復興院総裁に就任した後藤新平は、当時の一般会計予算約15億円に対し、実に2.7倍に当たる40億円の予算を要求。結果的に確保できたのは6億円だったが、それでも国家予算総額の4割である。
これに対し、東日本大震災の復興予算は5年で25兆円。1年当たり5兆円に過ぎない。一般会計予算のわずか5%に過ぎない。その僅かな予算でさえ、復興とは無関係としか思われないような事業や他地域への予算流用まで起こっている始末だ。
さらには、25兆円のうち、復興特別税によって我々現役世代が賄っている負担は10.5兆円と半分に満たない。つまり、復興負担の大半を次世代に付け回ししているのだ。

東北復興は「国家の品格」の問題

もちろん、世界最悪とも言える現在の日本の財政状況に鑑みれば、野放図に財政赤字を膨らます財政的余力が日本にあるわけではない。5年で25兆円が精一杯なのかもしれない。また、かつての朝鮮併合や帝都復興と今回の東北復興とも単純には比較できないだろう。しかし、予算規模だけをみても、現在の国民や政府が被災地を本気で助けようとしているとは到底思えない。もし、当局に「過疎地への公共投資は乗数が低い」といった経済波及効果を尺度とする発想によって復興予算に後ろ向きになっているとすれば、それは間違いだと断じたい。東北復興の問題は経済政策の問題ではないからだ。まさに「国家の品格」や「国柄」の問題なのだ。政府(と国民)が「復興」の本気度を疑われても仕方ない。被災地への企業誘致を促す思い切った設備投資減税や法人税の減免等、国ができる復興支援策はその気になればいくらでもあるはずだ。

(注1)例えば、NHKニュース「おはよう日本」特集「東日本大震災4年 災害公営住宅への転居 新たな課題」等を参照http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/03/0312.html

(注2)日本の住宅ローンはなぜノンリコースにならなかったのか
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090120/183217/
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