今後のエネルギー政策

Posted by fukutyonzoku on 09.2012 政治・経済 0 comments 0 trackback
今朝の日経「経済教室」は、「新エネルギー戦略(下) 自給率の向上、政策課題に ~ 多様な供給源を確保 原発の安全向上に全力を」( 松井賢一・龍谷大学名誉教授)。
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE1EAE4E7EAE7E0E2E2EAE2E0E0E2E3E09997EAE2E2E2;b=20120209

原発推進論なのだが、再生可能エネルギーの限界や米国の原発政策の最近の様子が紹介されており、勉強になるので抜粋して引用します。

(引用開始)
 一方、太陽光、風力発電などの再生可能エネルギーは確かにクリーンで無尽蔵ではあるが、エネルギー密度やパワー密度が極めて小さい。エネルギー密度、パワー密度はそれぞれ一定の面積、容量、重さあたりのエネルギーもしくはパワーの量である。一般的にこうした密度が高いほど、生産コストが安くなり、生産量も消費量も大きくなる。
 さらに、再生可能エネルギーを論じる時には、エネルギーとパワーの違いを区別することが重要だ。エネルギーが仕事をする能力であるのに対し、パワーはある時間内に仕事をする能力のことで、エネルギーを生産あるいは消費するスピードといってもよい。数式で表すと、パワーはエネルギーを時間で割ったものであり、逆にパワーに時間をかけるとエネルギーになる。
 また、パワーには「支配する」という意味も含まれる。人はスイッチを入れたり、アクセルを踏んだりするだけで、希望するパワーを得ようとする。人が求めるものはエネルギーよりパワーである。人が欲しい時に欲しいだけのエネルギーを供給してくれない限り、再生可能エネルギーは主役になれないだろう。
 原子力発電についてはどうだろうか。福島原発事故から1年ほどたつがこの間、原発に関しては後ろ向きの意見が多く聞かれた。しかし、原子力の持つ膨大なエネルギー密度、パワー密度は否定しようもなく、これをより安全かつ安く使う方法について研究が積み重ねられてきた。これまで主流となってきた大型軽水炉において大きな技術進歩がみられるだけでなく、様々なタイプの炉、再処理方式の研究が継続されてきた。
 この中で最近注目されているものの一つに、1万~30万キロワット級の小型原子炉がある。
 その理由として(1)初期投資額が大型に比べはるかに小さく、量産で大幅なコスト低下が期待される(2)機械的に動く部品の数を極端に少なくするとともに、重力による水の落下や空気の自然対流など自然現象を活用したパッシブ(受動的)安全システムの思想で設計されている(3)地中に埋められる設計のものが多く、天候異変やテロ対策に強い(4)空冷式のものもあり、川や海の近くに立地する必要がない(5)既存の原発から出る使用済み燃料を簡単な再処理をして利用する炉が研究されている――ことなどが挙げられる。
 米原子力規制委員会(NRC)は年内にも、米バブコック・アンド・ウィルコックス(B&W)のmPower炉(12.5万キロワット、加圧水型軽水炉、空冷復水器)について、設計認証に向けた審査を始めるとみられる。
 また、米エネルギー省も小型炉導入に関する保険・賠償制度の法整備を進めている。さらに同省は今年1月、世界的なクリーンエネルギー技術開発競争を勝ち抜くための先端技術として小型原子炉を位置づけ、政府による民間の開発支援を発表するとともに、どの型式の小型炉を支援対象とするかを決めるための入札を開始した。
 こうしたエネルギーを取り巻く大きな流れの中で、またグローバル化の動きが加速する中で、日本はどのようなエネルギー戦略を構築したらよいのだろうか。
 筆者は、グローバル化とは知的構想力という武器を使った戦争であり、厳しい弱肉強食の世界に行き着くと考えている。そうした環境の中で日本が生き残っていくには、知的構想力を育み深化させる経済的基盤を確固たるものとしなくてはならない。その基盤となるのは、多様な供給源を確保するため国産エネルギーを中心として、足らない部分は政治的に安定している地域からの輸入でカバーする「ほぼ自給」あるいは「準自立」と呼べるエネルギー供給ミックスの確立である。
 国産のエネルギーとしては水力、若干の国産石油・ガス、再生可能エネルギーが挙げられるが、原子力もある意味で国産エネルギーとみていいだろう。この中で原子力以外のエネルギーは、資源量の不足、供給の不安定性、エネルギー密度・パワー密度に関する制約がある。それだけに日本が最終的にとるべき道は、原子力を軸としたエネルギーミックスであると考える。
 もちろん昨今の原発を巡る状況を勘案すれば、原発への信頼を回復することが先決であることはいうまでもない。そのためには、福島原発事故の原因の徹底的な究明、科学的かつ合理的な安全基準の見直しと抜本的な対策の実施、国民や立地自治体の理解を得るための地道で根気強い努力が必要である。決して容易な道ではないが、そうした努力を続けることにより道が開けてくるのではないだろうか。
(引用終わり)

筆者が指摘するように、日本にとって原発再開は簡単ではないし、商業運転を続けるべきかどうかは簡単に答えの出ない難問に違いない。ただ、日本は技術的可能性の追究だけは完全に放棄すべきではないと思う。これから原子力をやろうという骨のある日本人学生がいなければ、留学生に思い切って門戸を解放したらどうだろうか。
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